吾妻鏡入門第十六巻正治元年(建久十年)己未(1199)

序文 頼家時代の天皇、摂政関白の紹介
二月 将軍宣旨に吉書始め式を行う
三月 乙姫、病におちいる 佐々木盛綱嘆いて逆に領地を取られる
四月 問注所を郭内から移転 頼家の裁判権を止め十三人の談合に 頼朝百か日
五月 京都からの医師時長、乙姫に朱砂丸を飲ませ少し良くなる
六月 乙姫目の上が腫れる、医師京都へ逃げ帰る。乙姫死す
七月 乙姫の法事 頼家景盛を三河へその隙に妾を横取
八月 頼家妾の恨みを逆手に景盛を攻めるを政子が止める
九月 頼家大番怠慢を催促、蹴鞠を始めよう、幕府に不動像を供養
十月 景時、小山朝光を讒訴し六十六人に弾劾書を
十一月 景時寒川へ引込。頼家蹴鞠を開始 武蔵の納税台帳整備
十二月 梶原景時、鎌倉を追い出される、小山朝政播磨守護に補

正治二年庚申(1200)

正月 三浦介義澄卒。景時親子七人駿河國C見關狐崎で滅亡
二月 波多野盛通が捕えられない勝木則宗を重忠が腕を折る
閏二月 頼家は伊豆へ狩猟に。政子亀谷の寿福寺の地を栄西に寄付
三月 大風、岡崎四郎義實貧乏して、政子に領地を泣きつく
四月 北條時政殿遠江守従五位下に任命される
五月 有時誕生 頼家境争論の図面の中央に線引裁定する
六月 岡崎義實卒、梶原平次景高未亡人所領を安堵される
七月 政子、京都で十六羅漢図を作らせ寿福寺に寄贈
八月 佐々木經高京都で騒ぎ四国の守護職を取上げられる
九月 小坪へ舟遊び、朝夷名義秀水練を披露、兄弟相撲を取る
十月 工藤行光の郎党の奥州芝田攻め手柄を褒める 八幡宮別当円暁死
十一月 近江の柏原為永追討宣旨発出。頼家左衛門督従三位任官
十二月 頼家源平後の加給地が五百町を越える分を取上げたいが
文覚の手紙

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