吾妻鏡入門第廿三巻建保五年丁丑(1217)

一 宋人陳和卿唐船造事
一 尼御臺所上洛熊野参詣事〔義時於京都加鞠人數事〕
一 將軍家任大將爲御拝賀鶴岳御參宮事
一 將軍家右大臣拝賀時鶴岳別當公曉奉侵丞相事
一 右京兆義時依藥師加護免害事
一 左大臣道家公賢息爲關東將軍御下向事
一 承久兵乱等事
一 後鳥羽院隱岐國遷幸事〔此外土御門院兩親王公卿殿上人死罪流刑等事〕

正月 実朝二十六歳 御所近所火事 時房相摸守で出演
二月 二所より帰る 義時右京權守で出演 伊賀局の母死す
三月 二階堂行光家火事 夫婦で永福寺へ花見にいく
四月 小町大路で侍が切り合い 唐舟出来上がるが動かず
五月 八幡宮別当定暁死す 退耕行勇の政治口出しを諌める
六月 公暁園城寺から戻り八幡宮別当職につく
七月 後鳥羽上皇 瘧病  幕府から二階堂行村見舞いに行く
八月 八幡宮放生会 後鳥羽上皇泰山府君祭で治る
九月 鎌倉大風で建物吹っ飛ぶ 実朝海辺の月を見に三浦へ
十月 公暁、八幡宮へ神拝の上、千日篭りに入る
十一月 大江広元目の病と腫れ物併発し、出家。義時後任か
十二月 大江広元目は治らない 義時陸奥守兼務 永福寺で歌

建保六年戊寅(1218)

正月 政子、熊野権現へお供は時房 実朝権大納言に任命
二月 政子上洛 実朝大将任官希望 伊予新捕地頭赴任
三月 実朝昇進の勅使到着 官職を実朝は望み泰時は辞退
四月 千葉介成胤死す 政子京都で従三位の叙す
五月 時房京都での蹴鞠を自慢 女房三条局京都から帰る
六月 大将叙任の勅使到来 拝賀式出席の公卿下向 式典挙行
七月 実朝対象の直衣始め 義時薬師堂建立 侍所司五人を決める
八月 実朝、大江時広の上洛をしぶる を義時取り次ぐ
九月 三浦駒若丸(光村)等公暁の弟子供が夜の八幡宮で暴れる
十月 実朝内大臣に 政子従二位に 長兵衛尉信連死す
十一月 佐々木廣綱、行幸に刃傷奴を射止め賞を受ける
十二月 実朝右大臣任命拝賀式の供奉人 義時大倉薬師堂供養

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