吾妻鏡入門第廿六巻貞應元年(承久四年)壬午(1222)
四月十三日改元 三寅(五歳)
一前奥州〔義時〕卒去依之鎌倉中物事
一武州〔泰時〕執權職事
正月 垸飯義時足利義氏大江広元七日結城朝光
二月 初犬追物 義時の娘讃岐中將室女子安産
三月 時房伊勢国守護職下文再発行受理 若君病祈祷
四月 安芸国千与未を厳島神社に 前浜の鴨死体に祈祷
五月 地震 義時、三浦へ逍遥に三浦義村歓待する
六月 祈祷により三十数日ぶりに雨が降る
七月 讃岐中将実雅仲間を集め百日の小笠懸開始
八月 彗星出現 放生会流鏑馬十六騎 彗星消える
九月 二階堂行盛の妻男子安産 義時屋敷に放火未然消火
十月 地震 政子大慈時に持仏の釈迦如来像を奉納
十一月 地震多発 義時妻産気あり 初雪
十二月 京都から除書届く 義時の妻男子を安産

貞應二年癸未(1223)三寅(六歳)

正月 若君邸拡張に西大路を取入意見陰陽道不一致京へ質問
二月 作事の占いを京都へ聞く 政子の別邸を勝長寿院内に建立決定
三月 勝長寿院で地鎮祭、政子御堂建立の方違へ二階堂行盛山荘へ
四月 頼経の着物鼠に食われ 頼経手鞠で烏に糞をかけられる
五月 頼経物忌み 後高倉法皇崩御 土御門上皇土佐より阿波へ遷御
六月 伊豆山権現に常行堂建立 政子伊賀光宗子息に対面
七月 承久乱後の新捕地頭得分十町一町免田反別五升 政子引越
八月 御家人以外の訴訟幕府不干渉決定 大姫の供養堂建立
九月 横町の下女三つ子を産むが皆死ぬ 政子地蔵菩薩絵を供養
十月 北陸道守護確認 義時田村へ 重時九条頼経の勤番決定
十一月 大友能直京都にて卒 若君新御所建築の占い
十二月 義時邸に光物 若君御所建築の日時を占い不決定

元仁元年(貞應三年)甲申(1224) 十一月廿日改元 三寅(七歳)

正月  政子方違え 義時八幡宮へ七日間参詣 義村二所代参
二月 駿河国総社富士新宮火災 高麗の船越後の寺泊に漂着
三月 若君の簾に烏巣を 千葉介胤綱家火事 伊賀光資死す脚気
四月 若君の父から硯と手本を送ってきた手習い始めを行う
五月 若君手習い 大量の魚が海上に浮かぶ競って買い油をとる
六月 十三日義時死す 泰時時房京都から帰る 時氏と時盛上洛
七月 政子女房一人を供に真夜中三浦義村宅を訪れ談判
閏七月 伊賀氏の乱、政子若君補佐として尼將軍に
八月 伊賀氏一族配流。伊賀局北条へ、光宗信濃、朝行光重九州へ
九月 義時の財産相続、泰時兄弟等に余分に分配 延引放生会実施
十月 一条能保の義時の娘婿實雅、伊賀氏事件の連座で配流
十一月 伊賀朝行伊賀光重九州へ流刑 泰時義時追福に伽藍建立
十二月 泰時上野国の検注をおこなう。牧の方病気。疫病流布

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