吾妻鏡入門第廿八巻寛喜三年辛夘(1231)将軍頼経(14歳)

一、御成敗式目事

正月 杉本觀音西米町名越で失火 甘縄で放火 過差を止める
二月 御所の台所を引移す 足利家火事 頼経従四位下 姉皇子出産
三月 頼経刀で足指に怪我 貞暁死す 泰時伊豆駿河で出挙米供出
四月 河越重員武蔵検校職返捕 頼経右中将 新捕地頭の五箇条制定
五月 守護大犯三か条以外禁止 謀反夜討窃盗処理決定 泰時不例
六月 泰時本復 難破船の強奪禁止 初めて風伯祭実施 貞暁死す
七月 御臺所新車始め 摂政九条道家教實に職を譲る 大飢饉
八月 新米が取れ始め飢饉を免れる 鶴岡八幡宮の放生会夫婦出席
九月 和歌と蹴鞠 朝時の屋敷に賊が入り泰時が駆けつける美談
十月 時房公文所から出火頼朝義時の兩法華堂燒失 土御門院崩御
十一月 大流星天を亘る 海鳴動 三島社鳴動 五大堂明王院造立
十二月 五大堂明王院開眼供養 大晦日に雷雨は縁起が悪い

貞永元年(寛喜四年)壬辰(1232)四月二日改元 将軍頼経(15歳)

正月 後鳥羽院朝覲行幸の絵届く 泰時道虚日を吉事の例に感心
二月 竹御所不例 甘縄火事 武蔵六所宮修造 坂戸市の堤防を修理
三月 頼経従三位に 泰時伊豆の飢饉に出興米 権大僧都観基入滅
四月 改元 京都大番 新補地頭の法定める 謀反人罪人の隠匿禁止
五月 泰時御成敗式目を制定 内容は關東諸人の訴訟 将軍御不例
六月 大風で人屋破損 藤原定員の屋根が二町も飛んだ
七月 評定衆が私無き連署の誓執権連署も署名 和賀江島着工
八月 和賀江島二十四日間で完成 犯罪人は守護へ 放生会競馬
九月 公領は国司権限に 荘園は領家権限に 御成敗式目を六波羅へ
閏九月 国領国司成敗 荘園本家領家成敗 預所の咎人抑留を禁ず
十月 来年五大堂明王院建立決定 竹御所御願堂大慈寺内に決定
十一月 五大堂着工 泰時撫民政策 平泉毛越寺吉祥堂本尊共炎上
十二月 大江広元の離散文書を回収 武蔵惣檢校職を河越に変換

廿九巻へ

inserted by FC2 system