吾妻鏡入門第卅五巻寛元々年(仁治四年)癸夘(1243) 二月廿六日改元

正月 垸飯足利義氏 御行始 弓始 鶴岡八幡宮へお參り
二月 大倉薬師焼亡 侍任官所望停止 訴論沙汰結番 ご恩場所指定禁止
三月 改元詔書到着 訴訟懸物押書提出済みを質問状を出す 二所詣で
四月 仏性会 大嘗祭の費用未納を催促 奴婢十年他所にいたら所属
五月 評定の事書と下知を比べて内の評定を加え清書するように決める
六月 大船常楽寺泰時の一周忌 鎌倉大仏建立 後の後深草天皇誕生
七月 証文分明訴論は対決無しでも成敗を お供を結番 経時武蔵守に
閏七月 供花会結願 篝屋未作推進 地頭と百姓の下人を同等に沙汰
八月 放生会 馬場の義結構に 懸物押書無き訴訟認めず
九月 若君(頼嗣)疱瘡 清原季氏死 事書だけで早期成敗 北条時景死
十月 若君(頼嗣)治る 小御所作事始め 隆弁京都より帰る
十一月 佐々木兄弟相続争い 在京御家人の大番 渡辺党海賊処罰
十二月 将軍小御所へ引越し 奴婢の子息は十歳まで親元に置

寛元二年(124)甲辰(1244)

正月 垸飯経時・時定・朝時 御行始 弓始 二所詣 宴会後は妾の所へ
二月 泰時孫富士姫駿河へ 寛喜飢饉の一代限りの人身売買を認める
三月 将軍頼経花見巡礼 若君御不例 経時再審請求を認める
四月 富士姫上洛 頼嗣元服6才将軍譲与 吉書始め 咳と熱の病流布
五月 頼嗣征夷大将軍宣旨状届く 頼経・頼嗣共に三日病
六月 三善倫重死去 新将軍頼嗣御行始 新田政義自由出家で所領没収
七月 永福寺と両脇堂を修理する 頼経の持仏堂で親子で供花の供養
八月 八幡宮放生会 頼経来春上洛の宿願有り多様な祈りをさせる
九月 頼嗣正五位下に 今出川公経没 頼経上洛二月九日に決定
十月 頼経、公経の除服 博打の禁止 双六は侍のみ 四一半目勝禁止
十一月 鎌倉洪水道路皆水没近年比類無し 評定の経営は倹約を
十二月 新将軍読書始め 経時・時頼屋敷と政所全焼 頼経上洛延期

卅六巻へ

inserted by FC2 system