鎌倉歴史散策の歴散加藤塾別館

歴史古街道団 吾妻鏡勉強会 「知っておきたい昔の法則」

一、干支について

 十干(じっかん)は、干支(えと)の「え」の方らしく、木火土金水(もっかどこんすい)の五行を輪の形に並べると五角形でそれぞれ次のものに相性(そうしょう)があり、木 熱して火を生じ、火 燃えて土を生じ、土 甘(じゅく)して金を生じ、金 漻(なが)れて水を生じ、水 液(ひた)して木を生じ、と繰り返す。又、一つおきの者とは相克(そうこく)の関係にあり、木は土の養分を取り、土は水の流れを妨げ、水は火を消す。火は金を溶かし、金は木を切るのに使う。これを輪の形において一つ置きに線で結ぶと五芒星になる。この五芒星がリ明神社の紋章である。

そしてそれぞれに「兄のえ」と「弟のと」とがある。

 甲(木兄) (木弟) (火兄) (火弟) (土兄) (土弟) (金兄) (金弟) (水兄) (水弟)

 きのえ  きのと  ひのえ  ひのと  つちのえ つちのと かのえ  かのと  みずのえ みずのと

 

 

十二支(じゅうにし)は、干支(えと)の「と」の方らしく、十二種類の動物に例えている

 子 丑  寅  卯 辰  巳 午  未   申  酉  戌  亥

 ね うし とら う たつ み うま ひつじ さる とり いぬ い

 鼠 牛  虎  兎 龍  蛇 馬  羊   猿  鶏  犬  猪

 

 

 

 

この干と支を組み合わせて、甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉と順にいくと十二支が戌と亥の二つが余って、十干が、前へ戻って甲戌、乙亥となり 丙子、丁丑となっていく。

よって、十二支の奇数番目は常に「え」であり、偶数番目は「と」になる。そうすると10×12ではなく、5×12なので60となり、六十年で元の十干十二支(干支)に戻るので還暦(暦が還る)と云う。

 

 

 

干支を用いた単位に方角と時刻がある。

方角 真北を子とし、全天を十二等分したので、真南が午となる。陰陽道では、艮(丑・寅)の方角を鬼門としている。鬼は、牛の角があり、虎皮のパンツをはいている。寅の反対側に申がいるので、申・酉・戌が鬼退治の桃太郎のお供をしている。

時刻 真夜中を子として一日を十二等分しているので、一時は2時間である。真南に太陽が来た時刻を午としているので「正午」といい、午の前を「午前」、午の後を「午後」といっている。

吾妻鏡中に「丑の二点」と「点」が出てくるが、時刻の點は、2時間を5等分したのが点。24分ごとである。

二、土地の四神について

四神(ししん、しじん)は、中国の神話、天の四方の方角を司る霊獣である。四獣(しじゅう)、四象(ししょう)ともいう。
東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武である。五行説に照らし合わせて中央に黄龍(書籍によっては麒麟や白蛇を据える場合もある)を加え数を合わせた上で取り入れられている。
中国や韓国における風水の四神相応は、背後に山、前方に海、湖沼、河川の水(すい)が配置されている背山臨水の地を、左右から砂(さ)と呼ばれる丘陵もしくは背後の山よりも低い山で囲むことで蔵風聚水(風を蓄え水を集める)の形態となっているものをいう。
この場合の四神は、背後の山が玄武、前方の水が朱雀、玄武を背にして左側の砂が青龍、右側が白虎である。

日本の平安京においても、北の丹波高地を玄武、東の大文字山を青龍砂、西の嵐山を白虎砂、南にあった巨椋池を朱雀とする対応付けが可能で、背山臨水を左右から砂で守るという風水の観点から正しく京都は四神相応の地であった。ただし巨椋池が完全に干拓されてしまったために、現代では平安京は朱雀を失っている。

鎌倉では、吾妻鏡に嘉祿元年(1225)十月大二十日丁未。晴。相州時房は、武州泰時と集まって、新御所の土地についてなお検討し占いで決めることにしたそうな。それで、安陪國道さんを始めとする7人の陰陽師を呼び集め、頼朝法華堂の下の土地を一番目として、若宮大路を二番目としました。この両方の土地の内、どっちに決めたらよいのか、占って報告するように命じられたところ、安陪國道さんが言うには、「御所をよそへ引っ越すように、陰陽道は進言しました。しかしながら、一と二とで占えば、もし一が良いと占いが出れば引っ越す必要がないので、云ってることが二つになってしまいます。ですから一と二のどっちかに占うことはできません。」だそうな。珍与法眼が云うには、「法華堂の前の土地は、良いとは言えません。西側に山があります。それに頼朝様が墓におられます。親の墓が高い処にあり、その子供等が下に住んでると、子孫は絶えると占いの本にあります。頼朝様の子孫は絶えていますので、ぴったり符合しています。若宮大路は、四神相応の勝った土地と云えます。西には、武蔵大路の大道が、東には滑川があり、北には大臣山、南には海があります。海は池や沼に似ております。」だとさ。この意見を採用してこの地にしようとお決めになられました。但し、東西どちらに寄せるかは、占いをさせましたら、西側が最も良いと、陰陽師達が云いました。安陪信賢一人だけが反対しました。東西双方ともに不吉なんだそうな。

 

 

 

 三、律令制の四等官の制度(漢字は違っていても、読みは総て「かみ・すけ・じょう・さかん」)

役所 太政官 神祇官 弾正台 使 近衛府 兵衛府 衛門府 大宰府
かみ 大臣 大夫 大将
すけ 次官 次官 中将少将
じょう 少納言弁 判官 将監
さかん 主典 令史 将曹

四、律令制における位について・・・正は「しょう」と読み、従は「じゅ」と読む。三位は「さんみ」と読む。

殿上人 貴族   正一位  従一位

         正二位  従二位

         正三位  従三位

通貴 準貴 昇殿 正四位上 正四位下 従四位上 従四位下(「しい」と読む)

         正五位上 正五位下 従五位上 従五位下

一般       正六位上 正六位下 従六位上 従六位下

         正七位上 正七位下 従七位上 従七位下(「しち」と読む)

         正八位上 正八位下 従八位上 従八位下

         大初位上 大初位下 少初位上 少初位下

 

五、単位について

1、 長さ

 一丈(30.3m)= 十尺。 一尺(30.3cm)= 十寸。(曲尺かねざし木工職人用)。一寸(3.03cm)= 十分。 一分(0.3cm)= 十厘。

 一里(3.927km)=三十六町 一町(109m)=六十間 一間=曲尺6(1.81m)   参考:鯨尺くじらじゃく裁縫用(37.8cm)

 余談: ♪七里ヶ浜の磯づたい 稲村ガ崎名将の剣投ぜし古戦場と唱歌「鎌倉」に歌われた七里ヶ浜は約2.8kmとあるが、

     律令制では五尺を一歩とし、三百歩で一里 (454.5m)とした。

     454.5m×七里は約3.18km、小動崎と稲村ガ崎の間が直線距離で約2.8km6.16里になるので、浜の弛みを換算して切り上げれば七里となる。

2、 容積

 一石(こく)=十斗(と)。一斗=十升(しょう)。一升=十合(ごう1.8リットル)。 一合=十勺(しゃく)。一勺= 十才(さい)。一才=十弗(ふつ).

 ちなみに、俵一俵は、四斗60kg。よって一石は二俵半。

3、 重さ

一貫(かん)=千匁(もんめ)3.75kg。一匁=十分()。一分=十厘(りん)。 参考:匁は唐の開元通宝一文の重さ。

一斤(きん)=十六両=160匁=600g。一両=四分(10)。一分=六銖(しゅ)。 参考:銀一両=47分。

4、、面積

一町=十反()=約1ha(99.174a)。 一反(たん)=十畝()10a
一反=50束。一束=10把。      一畝=30()。 一歩()3.3u。

鎌倉初期は、一反で一石、一人一年分の食糧。(但し農業技術の発展で鎌倉末期で倍、現在は三倍)
一年を360日として、一日当たり一坪なので一反は360坪であった。
太閤検地の際に収穫が増えているので、一反を300坪とした。

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