作成進行状況:九巻文治五年(1189)十二月末日まで整理済み
いっさいきょう一切経は、釈迦の説教とかかわる、経・律・論の三蔵その他注釈書を含む経典の総称。6巻文治2年(1186)2月3日
いぬい乾は、西北。
うしっぽうせい右執法星は、おとめ座ベータ星。
うらぼん盂蘭盆は、今で云うお盆。もと中国で、餓鬼道に落ちた母を救う手段を仏にたずねた目連(もくれん)が、夏安居(げあんご)の最後の日の7月15日に僧を供養するよう教えられた故事を説いた盂蘭盆経に基づき、苦しんでいる亡者を救うための仏事で七月十五日に行われた。日本に伝わって初秋の魂(たま)祭りと習合し、祖先霊を供養する仏事となった。迎え火・送り火をたき、精霊棚(しようりようだな)に食物を供え、僧に棚経(たなぎよう)を読んでもらうなど、地域によって各種の風習がある。江戸時代から旧暦の七月十三日から十六日までになり、現在地方では月遅れの八月一三日から一五日に行われるが、都会では七月に行う地域も多い。10巻文治6年(1190)7月15日
えんねん延年は、延年の舞。寺院芸能の一。平安中期に興り、鎌倉・室町時代に最も栄えた。延暦寺・興福寺などの寺院で、大法会のあとの大衆(だいしゆ)の猿楽や稚児の舞などによる遊宴歌舞の総称。のちに遊僧と呼ばれる専業者が出現し、中国の故事に題材をとる風流(ふりゅう)や連事(れんじ)などは能楽の形式に影響を与えたといわれる。現在も地方の寺院にわずかに残っている。
おうそう王相は、王神と相神で月ごとに方角が禁忌とされる。
おうひ横皮は、右肩にかける袈裟。
かたいみ方忌は、方違えに同じ。ふさがっている方角を忌み避けること。
かのえかた庚方は、陰陽道の二十四方位の255°。右図参照
かんじもうす勘申は、朝廷の儀式などの諸事について、先例・典故・吉凶・日時などを調べて上申すること。
かんじゅA巻數は、お経の種類と回数の報告。10巻文治6年(1190)3月1日
きんりん金輪は、一字金輪。密教で大日如来が最高の境地に入った時に説いた真言(ぼろん)の一字を人格化した仏。また、一字金輪仏を本尊とする修法を一字金輪法という。一字金輪仏頂。ウィキペディアから
くりん九輪は、相輪ともいう、塔の天辺に縦に輪が連なる傘蓋の変形したもの。
けいこくせい熒惑星は、火星。
けいとせい計都星は、九曜星の7番目. 本尊 地蔵菩薩. 方位 南西 胎蔵界曼荼羅では東. この年にあたるときは、何ごとも悪し。 商売は損失または住居に心配事あり。 秋冬は少し良し。
計都星は、インドの神話の星。計斗星は、九曜の一。昴宿にある星。両手に日月を捧げ憤怒相で青竜に乗る。ヒンドゥー教の神話では日食が起こる月の昇交点がラーフ(羅喉星)、降交点がケートゥ(計斗星)という2人の魔神として擬人化されこの二神の働きによって食が起こると考えられた。この二神が象徴する二交点は後に古代中国で羅喉星・計斗星の名で七曜に付けくわえられ、九曜の一員を成している。
げっしょく・にっしょく月食、日食の時は、天皇の行在所は筵で囲んで穢れの光を遮った。竹取物語参考。
けんえんたいせい軒轅大星は、獅子座のアルファ星。
こうしん甲辰は、甲が陽の木、辰は陽の土で相剋である。木は根を地中に張って土を締め付け、養分を吸い取って土地を痩せさせる。
ごじもんじゅ五字文殊は、文殊にその姿は一、五、六、八髻の文殊があり、それぞれの真言の字数により一、五、六、八字文殊と称される。一字文殊は増益、五字文殊は敬愛、六字文殊は調伏、八字文殊は息災の修法の本尊として迎えられる。HP「ほとけ」から。文殊祭りは二十五日らしい。そういえば、大船の常楽寺の文殊祭も1月25日だ。18巻元久5年5月25日
ごすいにち御衰日は、外出したり、戦に出るには縁起がよくない日。
ごだん五壇は、密教の中で五大明王を個別に安置し国家安穏を祈願する修法。
こんごうどうじ金剛童子は、無量寿仏あるいは金剛薩捶の化身とされ、調伏や息災を祈る密教の修法。
こんこうみょうきょう金光明経は、金光明最勝王経で奈良時代に聖武天皇が鎮護国家の経典として尊ばれた。
さいしょうおうきょう最勝王經は、金光明最勝王経で奈良時代に聖武天皇が鎮護国家の経典として尊ばれた。
さいせい歳星は、木星。
さんう三有は、欲界・色界・無色界の三界の生存である欲有・色有・無色有。9巻文治5年(1189)12月9日
じこくのてん時刻の點は、2時間を5等分したのが点。寅なら1時〜1:24を一点、1:24〜1:48を二点、1:48〜2:12を三点、2:12〜2:36を四点、2:36〜3:00を五点。
しじんそうおう四神相應は、東に龍の住む川があり、南に朱雀の住む大きな水溜りがあり、西に白虎が住む大道があり、北に玄武が居る山がある地が、最高の地勢とされる。
しちがつせつ七月節は、二十四節気の第十三。立秋。
しちようく七曜供は、一週間の日月火水目金七天体信仰の護摩炊き。
じっしゅくよう十種供養とは、法華経法師品に説かれる十種、華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・幡蓋・衣服・伎樂・合掌を持って諸仏に供養する事。
しゃしこう謝士公は、不明。
じゅういちがつせつ十一月節は、大陰暦の二十四節気の大雪十一月節。雪が大いに降る。
じゅうらせつにょ十羅刹女は、法華經の護法神。9巻文治5年(1189)9月16日
じゅがん咒願は、食事や法会の時、施主の願意を受けて唱えられる短い祈り。
じゅっしゅくよう十種供養とは、法華経法師品に説かれる十種、華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・幡蓋・衣服・伎樂・合掌を持って諸仏に供養する事。
しゅほう修法は、密教で行う加持祈祷(きとう)などの法。本尊を安置し、護摩をたき、口に真言を唱え、手で印を結び、心に本尊を念じて行う。祈願の目的により増益(ぞうやく)法・息災法・敬愛法・降伏(ごうぶく)法・鉤召(くしよう)法などに分け、それぞれ壇の形や作法が異なる。すほう。ずほう。
しょうこんさい招魂祭は、死者の霊を招き衰弱している生きた人間の活性化のための祈り。
しんぎょう心經は、般若心経。
しんせい填星は、土星。
すいにち御衰日は、外出したり、戦に出るには縁起がよくない日。
すくようし宿曜師は、「宿」は二十八宿、「曜」は七曜のことで、「宿曜経」に基づき、星の運行で人の運勢や吉凶を占う天文暦学を行う人。Goo電子辞書から
すくようどう宿曜道は、星の運航によって吉凶を占う術。
ずほう修法は、密教で行う加持祈祷(きとう)などの法。本尊を安置し、護摩をたき、口に真言を唱え、手で印を結び、心に本尊を念じて行う。祈願の目的により増益(ぞうやく)法・息災法・敬愛法・降伏(ごうぶく)法・鉤召(くしよう)法などに分け、それぞれ壇の形や作法が異なる。すほう。ずほう。
せいがくしんじん西獄真人と七十二星は寝殿の天井に祀ったようだ。七十二星は1年を72侯に分け侯毎に星を置く考えだそうな。
せいれい井霊は、井戸の霊カ?
そう更は、夜間の時刻を表し一更が19〜21時戌、二更が21時〜23時亥。三更が23時〜1時子、四更が1時〜3時丑。五更が3時〜5時寅。
そかいをとげる素懷を遂げるは、出家をする。
ぞくしょう属星は、陰陽道で生年の干支によって、運命を支配する北斗七星の各星にあてる。
ぞくたい俗躰は、伊豆山三所権現のうち、法躰は千手観音の垂迹、俗躰は阿弥陀如来の垂迹、女躰は如意輪観音の垂迹とされる。
そんしょうおう尊星王は、北極星を神格化したもので、妙見菩薩ともいわれる。
たいさいはっしんさい太歳八神祭は、素戔嗚尊の八王子らしい。
たいさんふくんさい泰山府君祭は、安倍晴明が創始した祭事で月ごと季節ごとに行う定期のものと、命に関わる出産、病気の安癒を願う臨時のものがあるという。「泰山府君」とは、中国の名山である五岳のひとつ東嶽泰山から名前をとった道教の神である。陰陽道では、冥府の神、人間の生死を司る神として崇拝されていた。延命長寿や消災、死んだ人間を生き帰らすこともできたという。
だいしょうぐん大将軍は、素戔嗚尊らしい。陰陽道において方位の吉凶を司る八将神の一。金星で3年ごとに居を変え、その方角は万事凶とされ、特に土を動かす事が良くないとされる。
たいつじょうぶん太一定分は、厄年。三歳から六歳刻みの厄年。今年は数えの十五歳。太一星のことで、北斗中の一星であり、天帝神として兵乱・禍災・生死などを司るとされる。
たいはくせい太白星は、金星。方角神の名。金星の精で、大将の姿をし、兵事や凶事を司る。日毎に遊行の方角を変え、その方角に向かう外出などを忌む。
だいはんにゃきょうのてんどく@大般若經の轉讀は、災いの転換を祈る。10巻文治6年(1190)3月1日
ちょうじつ重日は、巳の日は陽が陽に重なり、亥の日は陰が陰が重なる。善事も悪事も重なると云い、忌事はこの日を避ける。
てい弖(氐)は、氐宿。古代中国の星座。二十八宿の一。現在のてんびん座の第一星を中心とする四星。和名ともぼし。参考の【23】
てん時刻の點は、2時間を5等分したのが点。寅なら1時〜1:24を一点、1:24〜1:48を二点、1:48〜2:12を三点、2:12〜2:36を四点、2:36〜3:00を五点。
てんいちえん天市垣とは、古代中国天文学において天球上を3区画に分けた三垣の下垣。房宿・心宿・尾宿・箕宿・斗宿より北の区域。あるいはその主体となった星官(星座)のことを指す場合もある。ウィキペディアから
てんいつ天一は、天一神(なかがみ)が天に上っているという日。癸巳の日から戊申の日までの16日間。
てんかび天火日は、月によって縁起の悪い日が変わる。正月・五・九は子の日。二・六・十月は卯の日。三・七・十一月は午の日。四・八・十二月は酉の日。
てんきょう轉經は、お経を轉讀(略して読む=経文をアコーデオンのように左右の手に行ったり来たりさせる。)すること。9巻文治5年(1189)9月16日
てんせい填星は、土星。
てんそうちふさい天曹地府祭は、陰陽道で、冥官(みょうかん)を祭って戦死者の冥福などを祈る儀式。六道冥官祭。
てんちさいへんさい天地災変祭は、宿曜道に九種152例あり、星宿信仰に関しての天変地異の祈願。
てんどく転読は、略式の飛ばし読みのお経を上げる事で、お経を左右にアコーデオンのように片手から片手へ移しながらお経を唱える。摺り読みとも云う。反対にちゃんと読むのを「真読」と云う。
どくう土公は、土をつかさどる神。春は竈(かまど)、夏は門、秋は井戸、冬は庭にあって、その季節にその場所を動かすと祟りがあるとされる。
ななせばらい七瀬払いは、26巻貞応3年6月6日条では、由比ガ浜・七里ヶ浜・片瀬川・六浦・鼬川・森戸海岸・江の島龍穴。これ以外に地名の記事は無い。
にっしょく・げっしょく日食、月食の時は、天皇の行在所は筵で囲んで穢れの光を遮った。竹取物語参考。
にんのうえ仁王会は、仁王経を読み上げる。鳩摩羅什くまらじゆう訳。護国経典の一つで,般若を受持すべきことを説く。正式名は「仁王般若波羅蜜経」大辞林から
はがため歯固めは、正月初めに堅いものを食べて歯をじょうぶ にし,長寿を願うこと。
はちまんよんせん八萬四千は、釈尊のお説きになった教え「経」の数と謂われる。
はっこう八講は、法華八講の略で、法華経八巻を八座に分けて朝夕一座づつ四日間で講ずる法会。
はっこう白虹は、白虹日を貫くで近い内に戦が始まる前兆。
はっせんび八専日は、日の干支が壬子から癸亥の間の12日の間に干支共に同じ五行となる壬子(水水)・甲寅(木木)・乙卯(木木)・丁巳(火火)・己未(土土)・庚申(金金)・辛酉(金金)・癸亥(水水)をさし、同気が重なるので倍化するので良くない日。
びしゃもんてん毘沙門天は、四天王・十二天の一。須弥山中腹の北側に住し、夜叉(やしや)を率いて北方を守護する神。日本では福や財をもたらす神としても信仰され、七福神の一人とされる。仏法を守護し、福徳を授ける。もとはヒンズー教の神。多聞天。毘沙門。goo辞書より
ふうはくさい風伯祭は、鎌倉では初めて。風の神を祀って豊年を祈願する。28巻寛喜3年(1231)6月15日
ぶつがん佛眼は、仏眼仏母。密教で崇められる仏の一尊。真理を見つめる眼を神格化したもの。病気を治すまじない。ナウボウバキャバテイウシュニシャヤオンロロソボロジンバラチシュタロシャニャサラバアラタサダニエイソワカだそうです。
へんばい反閇は、お祓い用の歩き方で、左足をだし、右をくっつける。右足をだし左をくっつけるように踊りながら歩く。
ぼうげかさい防解火災は、火災防止のまじない。
ほっけせんぽう法華懺法は、法華経を読誦して懺悔し、後生善所を願う法要。天台宗の重要な儀式。
まんだらぐ曼陀羅供は、その名の如く金剛・胎蔵両曼荼羅を供養し、生きとし生けるもの総てに功徳を施す大変ありがたい法会。高野山金剛峰寺HPから11巻建久2年(1191)10月22日
まんとうえ万灯会は、沢山の灯明をともして仏・菩薩を供養し、衆人の罪障を懺悔し、減罪を祈願する法会。まんとうえ万燈會は、懺悔・報恩のために、多くの灯明をともして供養する行事。奈良時代から行われ、東大寺・高野山のものが有名。万灯供養とも云う。ウィキペディアから10巻文治6年(1190)7月15日
みょうどうく冥道供は、閻魔大王に罪の消滅と長寿を祈願する密教の供養法。
やくおうぼさつ薬王菩薩は、法華経の薬王菩薩本事品では、薬王菩薩の前世は、一切衆生喜見菩薩といい日月浄明徳如来(仏)の弟子だった。この仏より法華経を聴き、楽(ねが)って苦行し、現一切色身三昧を得て、歓喜して仏を供養し、ついに自ら香を飲み、身体に香油を塗り焼身した。ウィキペディアから9巻文治5年(1189)11月23日
ゆうねん遊年は、年によって建築・旅行・移転・嫁取りなどを避けなくてはならない方角。
よんふしゅつび四不出日は、出るのが縁起が悪い日。乙卯。戊午。辛酉。壬子。
らごうせい羅喉星は、九曜星の1番目。本尊は大日如来。方位は南東。胎蔵界曼荼羅では南。この年に当たるときは大凶。他行すれば災難有り。又、損失病気口説事あり。慎むべし。
れきどう暦道は、陰陽寮(おんようりよう)の学科の一。暦法を暦生に教授し、別に漏刻の学を付属させた。後世、賀茂氏が世襲。Goo電子辞書から
ろくさい六齋は、仏語で、特に身を慎み持戒清浄であるべき日と定められた六か日のことで、月の8,14,15,23、29、30日を云うとのこと。