吾妻鏡入門第十八巻

建永元年丙寅(1206)七月大

建永元年(1206)七月大一日庚辰。伊勢平氏等蜂起之時。朝雅朝臣爲大將軍。相催近國御家人。發向之處不參之輩所領等。雖被召放之。面々依申披子細。五條藏人長雅已下所領被返付云々。

読下し                     いせへいしら  ほうきのとき   ともまさあそん だいしょうぐん な     きんごくごけにん   あいもよお   はっこうのところ
建永元年(1206)七月大一日庚辰。伊勢平氏等蜂起之時、朝雅朝臣大將軍と爲し、近國御家人を相催し、發向之處、

ふさんのやから  しょりょうら   これ  めしはなた らる  いへど   めんめん  しさい  もう  ひら    よっ    ごじょうくらんながまさ いか   しょりょう  かえ  つ   らる    うんぬん
不參之輩の所領等、之を召放れ被ると雖も、面々に子細を申し披くに依て、五條藏人長雅已下の所領を返し付け被ると云々。

現代語建永元年(1206)七月大一日庚辰。伊勢平氏が反乱を越した時、武蔵守平賀朝雅が大將軍と名なて、近隣の御家人を集めて発進した時に来なかった連中の領地は、取り上げましたけれど、それぞれに事情を申し開きしたので、五条蔵人長雅を始めとする者達に領地を返還しましたとさ。

建永元年(1206)七月大三日壬午。三位法橋定曉補鶴岳別當。今日始遂神拝。其後參御所賀申之。廣元朝臣爲申次。

読下し                   さんみほっきょうていぎょう つるがおかべっとう ぶ      きょう はじ    しんぱい  と
建永元年(1206)七月大三日壬午。三位法橋定曉、鶴岳別當に補され、今日始めて神拝を遂げる。

そ   ご   ごしょ   まい  これ  が   もう    ひろもとあそん もうしつぎたり
其の後、御所に參り之を賀し申す@。廣元朝臣、申次爲。

参考@賀し申すは、お礼を言上した。

現代語建永元年(1206)七月大三日壬午。三位法橋定曉が、鶴岡八幡宮の長官に任命され、今日初めて神様に報告参りをしました。その後、御所へやってきてお礼を申しあげました。大江広元さんが取り次ぎました。

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