吾妻鏡入門第十八巻  

建仁三年癸亥(1203) 各頁のを押すとこの頁へ戻ります

序文         土御門院 摂政左大臣良経 摂政左大臣家実 順徳院 実朝 紹介  読下し完了

建仁三年(1203)九月大 実朝、関東の長者となり、将軍宣下を受ける。頼家修善寺へ流される 読下し・現代語完了

建仁三年(1203)十月小 実朝元服(数えで十二) 武蔵の御家人に北条時政への忠誠を命じる 読下し・現代語完了

建仁三年(1203)十一月大 頼家修善寺から近習を呼んで、安達景盛を殺させろと手紙をよこす 読下し・現代語完了

建仁三年(1203)十二月大 政子、八幡宮五重塔再建を止める                読下し・現代語完了

元久元年(建仁四年)甲子(1204)二月廿日改元

建仁四年(1204)正月大 正月行事 初詣 弓始め 二所詣での精進 但し義時代参      読下し・現代語完了

建仁四年(1204)二月小 実朝、由比ガ浜で小笠懸遠笠懸をみる 政子逆修を 四方田地頭停止 読下し・現代語完了

元久元年(1204)三月大 伊賀平氏挙兵 平賀武藏守朝雅に討伐命令 畿内御家人へも命令   読下し・現代語完了

元久元年(1204)四月小 伊勢平氏挙兵 平賀武藏守朝雅の攻撃で三日で平定 三日平氏の乱  読下し・現代語完了

元久元年(1204)五月小 伊勢平氏を平賀朝雅平定守護に 実朝頼朝の発給文書を集め写しを取る 読下し・現代語完了

元久元年(1204)六月小 実朝、愛染明王三十三体を供養 伊勢平氏討伐追賞を北条時政が裁決 読下し・現代語完了

元久元年(1204)七月大 十八日頼家修善寺で殺される 実朝将軍の直裁を始める       読下し・現代語完了

元久元年(1204)八月小 実朝足利義兼娘の縁談を断り京へ申入 石清水八幡宮領から地頭撤退 読下し・現代語完了

元久元年(1204)九月大 頼朝法華堂別当大学房に盗人、昼間の法事の布施を盗られる     読下し・現代語完了

元久元年(1204)十月小 坊門信清の娘を嫁とりに若者京へ出発 地頭前例を守るべし     読下し・現代語完了

元久元年(1204)十一月大 平賀朝雅と畠山重保口論 翌日北條時政嫡男政範京都で死亡    読下し・現代語完了

元久元年(1204)十二月大 御台所坊門姫到着 政子観音図供養す 姫の家来に地頭職を付与す 読下し・現代語完了

元久二年乙丑(1205)

元久二年(1205)正月大 実朝正五位下に叙任                       読下し・現代語完了

元久二年(1205)二月小 実朝右中将の叙書到着                      読下し・現代語完了

元久二年(1205)三月大 坊門から扇三十本と櫛箱届く 勝長寿院領菅生庄を二分し別当と供僧に 読下し・現代語完了

元久二年(1205)四月大 佐々木太郎定綱卒 稲毛重成は北條時政に呼ばれ鎌倉へ       読下し・現代語完了

元久二年(1205)五月小 御家人鎌倉へ集る                        読下し・現代語完了

元久二年(1205)六月小 畠山重忠二俣川に没 稲毛重成榛谷重朝三浦に殺される 秩父一族没落読下し・現代語完了

元久二年(1205)七月大 政子、重忠討伐の勲功をおこなう                 読下し・現代語完了

元久二年(1205)閏七月小 北條時政出家伊豆へ追われる 河野通信伊予水軍守護管理停止復活 読下し・現代語完了

元久二年(1205)八月小 宇都宮彌三郎頼綱謀反発覚 宇都宮出家の上鎌倉へ陳謝に来る    読下し・現代語完了

元久二年(1205)九月大 新古今和歌集京都から届く 山内經俊伊勢伊賀守護の返補嘆願書を出す 読下し・現代語完了

元久二年(1205)十月小 比叡山放火で炎上                        読下し・現代語完了

元久二年(1205)十一月大 政子、綾小路娘(母は稲毛重成女)を呼び寄せる 相馬次郎師常卒 読下し・現代語完了

元久二年(1205)十二月大 政子、公暁を鶴岡別当尊曉に弟子入させる 二階堂行村上総奉行に 読下し・現代語完了

建永元年(元久三年)丙寅(1206) 四月廿七日改元

元久三年(1206)正月小 頼朝から拝領の地は、大罪以外は取上げないと決める        読下し・現代語完了

元久三年(1206)二月大 実朝 名越えに雪見で和歌の会 後鳥羽上皇百座仁王経を命じる   読下し・現代語完了

元久三年(1206)三月大 実朝 従四位下に叙任 鵙(もず)が鷹狩をするのを見て喜ぶ    読下し・現代語完了

元久三年(1206)四月小 二十七日建永元年と改元                     読下し・現代語完了

建永元年(1206)五月大 加藤太光員、祭主大中臣に伊勢の領地を訴えられる 但し却下    読下し・現代語完了

建永元年(1206)六月小 公暁 着袴の儀  実朝相撲を見る                読下し・現代語完了

建永元年(1206)七月大 伊勢平氏の乱の不参御家人の取上げた領地を理由があれば返す    読下し・現代語完了

建永元年(1206)八月小 放生会、翌日の流鏑馬は大雨で夜まで延びた            読下し・現代語完了

建永元年(1206)九月小は、記事なし

建永元年(1206)十月大 公暁、実朝の猶子となる 朝時(名越)元服(数え十三)      読下し・現代語完了

建永元年(1206)十一月小 東重胤、実朝の呼出しに応ぜず怒られる 佐々木義C御出奉行に  読下し・現代語完了

建永元年(1206)十二月大 東平太重胤、義時にとりなしてもらい、門下の忠節を誓う     読下し・現代語完了

承元元年(建永二年)丁卯(1207) 十月廿五日改元

建永二年(1207)正月大 実朝。数えで十六歳。從四位上に敍さる。時房武蔵守に任ずる    読下し・現代語完了

建永二年(1207)二月小 八幡宮神人横領により注意指導、時房武蔵国先例重視を命じられる  読下し・現代語完了

建永二年(1207)三月大 桜梅の木を永福寺から移植。武蔵野開発を命じる          読下し・現代語完了

建永二年(1207)四月大 実朝、病にかかるが、一週間で治る                読下し・現代語完了

建永二年(1207)五月小 端午の節句の八幡宮のお祭り                   読下し・現代語完了

建永二年(1207)六月大 天野遠景恩賞要求 冷害 御室から紀伊土民の高野山領狼藉の訴え  読下し・現代語完了

建永二年(1207)七月小 幕府の西の対の屋、大風で転倒                  読下し・現代語完了

建永二年(1207)八月大 実朝 放生会の供奉人の行粧の華美を諌め吾妻四郎の出仕を止める  読下し・現代語完了

建永二年(1207)九月小 掃部入道寂忍中原親能 近江謀反人盤五家次を鎌倉へ連行する    読下し・現代語完了

建永二年(1207)十月大 若宮大路で火事 掃部頭親能京都へ帰る              読下し・現代語完了

承元々年(1207)十一月大 改元の勅書到来 伊勢小幡村地頭を止める 願成就院に塔建立   読下し・現代語完了

承元々年(1207)十二月小 義時の御蔭で吾妻四郎、御所で青鷺を矢で生け捕り出仕を許される 読下し・現代語完了

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