吾妻鏡入門第十九巻

承元三年己巳(1209)八月

承元三年(1209)八月大十三日甲戌。知親〔元朝字也。与美作藏人朝親名字着到時。混乱間改之〕自京都歸參。所被遣于京極中將定家朝臣之御歌。加合點返進。又獻詠歌口傳一巻。是六義風躰事。内々依被尋仰也。

読下し                      ともちか 〔もと  とも    じなり    みまさかくらんどともちか  みょうじと ちゃくとう  とき   こんらん   かんこれ  あらた  〕 きょうと よ  きさん
承元三年(1209)八月大十三日甲戌。知親〔元は朝の字也。美作藏人朝親の名字与着到@の時、混乱の間之を改む〕京都自り歸參す。

きょうごくちうじょうさだえいあそんに つか  さる  ところのおんうた  がってん  くは  かえ  しん
 京極中將定家朝臣 于遣は被る所之御歌、合點を加へ返し進ず。

また  えいか   くでん いっかん  けん    これ  りくぎ ふうたい  こと  ないないたず  おお  らる    よっ  なり
又、詠歌の口傳A一巻を獻ず。是、六義B風躰の事、内々尋ね仰せ被るに依て也。

参考@着到は、集合の際、到着すると署名する名簿。着到状。
参考A
口傳は、入門書。
参考B六義は、和歌の作り方で六種類ある。

現代語承元三年(1209)八月大十三日甲戌。内藤右馬允知親〔元は朝の字でした。美作蔵人朝親の名前と出勤時の名簿提出の時に混乱するので変えました〕が、京都から帰りました。京極中将藤原定家さんへ評価を頼んでいた和歌に評価のチェックを加えて返してきました。又、和歌の入門書一巻をくれました。これは和歌の作り方を内々に聞いて行ったからです。

承元三年(1209)八月大十五日丙子。リ。鶴岳放生會如例。但將軍家無御出。相州爲奉幣御使。武州被扈從。

読下し                      はれ つるがおか ほうじょうえれい ごと    ただ  しょうぐんえぎょしゅつな
承元三年(1209)八月大十五日丙子。リ。鶴岳の放生會例の如し。但し將軍家御出無し。

そうしゅう ほうへい  おんしたり  ぶしゅう  こしょうさる
相州、奉幣の御使爲。武州、扈從被る。

現代語承元三年(1209)八月大十五日丙子。晴れです。鶴岡八幡宮の生き物を放つ減罪の儀式放生会は何時もの通りです。但し、将軍実朝様の出席はありません。相州義時様が幣を捧げる代参です。武州時房がお供をしました。

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