承久三年辛巳(1221)二月大
承久三年(1221)二月大廿六日辛巳。町野民部大夫康俊爲使節上洛。是去十日夜半。七條院三條御所。依放火燒失之由。有其聞之間。所驚申也。放火人等事。可糺彈之由。示遣親廣入道。光季等許云々。 |
読下し まちのみんぶたいふやすとし
しせつ な じょうらく
承久三年(1221)二月大廿六日辛巳。町野民部大夫康俊、使節と爲し上洛す。
これ さんぬ とおか やはん しちじょういん
さんじょうごしょ ほうか よっ しょうしつのよし そ きこ あ のあいだ おどろ もう ところなり
是、去る十日の夜半、七條院
三條御所、放火に依て燒失之由、其の聞へ有る之間、驚き申す所也。
ほうかにんら こと きゅうだんすべ
のよし ちかひろにゅうどう みつすえら もと しめ つか うんぬん
放火人等の事、糺彈可き之由、
親廣入道、 光季等の許へ示し遣はすと云々。
現代語承久三年(1221)二月大廿六日辛巳。町野民部大夫大江康俊が、幕府の使者として京都へ上りました。それは、先日の十日の夜中に、七条院の三条御所が放火によって燃えてしまったと耳に入って、驚いております。その放火犯を見つけ出すように、大江源親広入道・伊賀光季の所へ行かせましたとさ。
承久三年(1221)二月大廿八日癸未。未刻。俄天陰雷鳴。 |
読下し ひつじのこく にはか てんくも らいめい
承久三年(1221)二月大廿八日癸未。未刻。
俄に天陰り雷鳴す。
現代語承久三年(1221)二月大二十八日癸未。午後二時頃急に空が曇って雷が鳴りだしました。