承久四年壬午(1222)三月大
承久四年(1222)三月大三日辛亥。相州賜伊勢國守護職御下文。是去年依合戰賞拝領之處。彼状燒失之由依被申之。重所被成下也。此外。同國中十六ケ所賜之。所謂匂御厨。丹生山。南堀江。永恒。黒田御厨。兩金法師跡以下云々。 |
読下し そうしゅう いせのくに しゅごしき おんくだしぶみ たま
承久四年(1222)三月大三日辛亥。相州、伊勢國
守護職の御下文 を賜はる。
これ
きょねんかっせん しょう
よっ はいりょうのところ か じょう しょうしつの
よしこれ もうされ よっ かさ なしくだされ ところなり
是、去年合戰の賞に依て拝領
之處、彼の状 燒失之由之を申被るに依て、重ねて成下被る@所也。
こ ほか
おな くにじゅうじうろっかしょ これ たま
此の外、同じく國中十六ケ所之を賜はる。
いはゆる まがりのみくりや にうやま みなみほりえ
ながかき くろだのみくりや りょうかねほっし あと
いげ うんぬん
所謂、
匂御厨A、丹生山B、南堀江C、永恒D、黒田御厨E、兩金法師の跡以下と云々。
参考@重ねて成下被るは、紛失状。
参考A匂御厨は、三重県松阪市曲町。
参考B丹生山は、多気郡多気町丹生。
参考C南堀江は、鈴鹿市南堀江。
参考D永恒は、津市雲出長常町。
参考E黒田御厨は、津市河芸町南北黒田。
現代語承久四年(1222)三月大三日辛亥。相州時房さんは、伊勢国の守護職の命令書を貰いました。これは去年の合戦の恩賞として貰ったのですが、その證文が燃えてしまったと云うので、追加して造られたのです。この他、同じ伊勢国内で16か所を頂きました。それは、匂御厨・丹生山・南堀江・永垣・黒田御厨・元両金法師の領地以下だそうな。
承久四年(1222)三月大八日丙辰。リ。自去夜。若君聊御惱。仍戌尅。於御所南庭。被行月曜祭。大夫泰貞奉仕之。嶋津左衛門尉忠久沙汰之。御使駿河太郎兵衛尉朝村。 |
読下し はれ さんぬ よ
よ わかぎみいささ ごのう よっ いぬのこく ごしょ なんてい
をい げつようさい おこなはれ
承久四年(1222)三月大八日丙辰。リ。去る夜自り、若君聊か御惱。仍て戌尅、御所の南庭に於て、月曜祭@を行被る。
たいふやすさだ
これ ほうし しまづさえもんのじょうただひさ
これ さた おんし するがのたろうひょうえのじょうともむら
大夫泰貞
之を奉仕す。 嶋津左衛門尉忠久
之を沙汰す。御使は駿河太郎兵衛尉朝村。
参考@月曜祭は、陰陽道の内九曜祭の一つで、生まれによって係る星祭。一般に月食の時に月曜祭と云われるが?
現代語承久四年(1222)三月大八日丙辰。晴れです。昨夜から若君三寅が具合が悪い。それなので午後八時頃に御所の南庭で月曜祭を行いました。大夫泰貞が勤めました。島津左衛門尉忠久が担当し、代参は駿河太郎兵衛尉三浦朝村です。