吾妻鏡入門第廿六巻

承久四年壬午(1222)三月大

承久四年(1222)三月大三日辛亥。相州賜伊勢國守護職御下文。是去年依合戰賞拝領之處。彼状燒失之由依被申之。重所被成下也。此外。同國中十六ケ所賜之。所謂匂御厨。丹生山。南堀江。永恒。黒田御厨。兩金法師跡以下云々。

読下し                   そうしゅう  いせのくに しゅごしき おんくだしぶみ  たま
承久四年(1222)三月大三日辛亥。相州、伊勢國 守護職の御下文 を賜はる。

これ  きょねんかっせん しょう  よっ  はいりょうのところ  か  じょう しょうしつの よしこれ もうされ    よっ     かさ    なしくだされ  ところなり
是、去年合戰の賞に依て拝領 之處、彼の状 燒失之由之を申被るに依て、重ねて成下被る@所也。

こ   ほか  おな   くにじゅうじうろっかしょ これ  たま
此の外、同じく國中十六ケ所之を賜はる。

いはゆる  まがりのみくりや にうやま  みなみほりえ  ながかき  くろだのみくりや  りょうかねほっし  あと いげ   うんぬん
所謂、 匂御厨A、丹生山B、南堀江C、永恒D、黒田御厨E、兩金法師の跡以下と云々。

参考@重ねて成下被るは、紛失状。
参考A匂御厨は、三重県松阪市曲町。
参考B
丹生山は、多気郡多気町丹生。
参考C
南堀江は、鈴鹿市南堀江。
参考D
永恒は、津市雲出長常町。
参考E
黒田御厨は、津市河芸町南北黒田。

現代語承久四年(1222)三月大三日辛亥。相州時房さんは、伊勢国の守護職の命令書を貰いました。これは去年の合戦の恩賞として貰ったのですが、その證文が燃えてしまったと云うので、追加して造られたのです。この他、同じ伊勢国内で16か所を頂きました。それは、匂御厨・丹生山・南堀江・永垣・黒田御厨・元両金法師の領地以下だそうな。

承久四年(1222)三月大八日丙辰。リ。自去夜。若君聊御惱。仍戌尅。於御所南庭。被行月曜祭。大夫泰貞奉仕之。嶋津左衛門尉忠久沙汰之。御使駿河太郎兵衛尉朝村。

読下し                   はれ  さんぬ よ よ    わかぎみいささ ごのう   よっ いぬのこく  ごしょ  なんてい  をい    げつようさい  おこなはれ
承久四年(1222)三月大八日丙辰。リ。去る夜自り、若君聊か御惱。仍て戌尅、御所の南庭に於て、月曜祭@を行被る。

たいふやすさだ これ  ほうし     しまづさえもんのじょうただひさ これ   さた     おんし  するがのたろうひょうえのじょうともむら
大夫泰貞 之を奉仕す。 嶋津左衛門尉忠久 之を沙汰す。御使は駿河太郎兵衛尉朝村。

参考@月曜祭は、陰陽道の内九曜祭の一つで、生まれによって係る星祭。一般に月食の時に月曜祭と云われるが?

現代語承久四年(1222)三月大八日丙辰。晴れです。昨夜から若君三寅が具合が悪い。それなので午後八時頃に御所の南庭で月曜祭を行いました。大夫泰貞が勤めました。島津左衛門尉忠久が担当し、代参は駿河太郎兵衛尉三浦朝村です。

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