吾妻鏡入門吾妻鏡脱漏

嘉祿二年丙戌(1226)三月小

嘉祿二年(1226)三月小一日丙辰。陰。依爲吉曜。竹御所爲御方違。入御武州御亭。是今年御行始也云云。

読下し                    くも    きちようたる  よっ    たけのごしょ  おんかたたが  ため  ぶしゅう おんてい  い   たま
嘉祿二年(1226)三月小一日丙辰。陰り。吉曜爲に依て、竹御所@、御方違への爲、武州の御亭に入り御う。

これ  ことし   みゆきはじめ なり  うんぬん
是、今年の御行始 也と云云。

参考@竹御所は、鞠子。

現代語嘉祿二年(1226)三月小一日丙辰。曇りです。お日和が良いので、竹御所は方角変えのため、泰時さんの屋敷へ行きました。今年初めての外出です。

参考竹御所は、22巻建保四年(1216)三月五日条で金吾将軍姫君(14歳)と初出演、次が脱漏の嘉禄元年八月廿七日に政子の追福で出演、ここで三度目の出演。吾妻鏡では、天福二年(1234)七月二十七日の死亡記事に御歳32歳となっている。双方の記事から数え年で逆算すると1203の生まれのはずだが、諸誌には建仁二年(1202)生まれとなっている。満年齢で計算してしまったのか、何か別な資料に基づいているのか分からない。分かったら教えて欲しい。尊卑分脈では、母は木曾義仲の娘とされるが、屋敷が比企谷なので比企能員の娘若狭局と推測されている。

嘉祿二年(1226)三月小十五日庚午。リ。卯刻。竹御所爲如法經筆立御聽聞。御出于御堂之御所。去月廿二日被始行之。

読下し                      はれ  うのこく   たけのごしょ にょほうきょう  ふでたて   ごちょうもん  ため    みどう の ごしょ  に い   たま
嘉祿二年(1226)三月小十五日庚午。リ。卯刻。竹御所、如法經@の筆立Aを御聽聞の爲に、御堂之御所B于出で御う。

さんぬ つき にじうににち これ はじ  おこな れる
去る月 廿二日 之を始め行は被。

参考@如法経は、法華経を写経すること。
参考A
筆立は、本来は写経初日のお経だが、ここでは写経を始めて最初に聞くお経の意味らしい。
参考B御堂之御所は、勝長寿院内。

現代語嘉祿二年(1226)三月小十五日庚午。晴れです。午前六時頃、竹御所は法華経を写経初めのお経を聞くために、勝長寿院内の政子様建立のお堂へ行きました。実は先月22日から書いているのです。

嘉祿二年(1226)三月小十八日癸酉。リ。大慈寺舎利會如例。竹御所并武州御參堂云云。

読下し                     はれ   だいじじ    しゃりえ れい  ごと    たけのごしょ なら  ぶしゅう  どう  まい  たま    うんぬん
嘉祿二年(1226)三月小十八日癸酉。リ。大慈寺@の舎利會例の如し。竹御所 并びに武州、堂へ參り御うと云云。

参考@大慈寺は、実朝が建立した寺。実朝は部下を宋へ行かせ、舎利を手に入れている。後に太平寺に移されている。

現代語嘉祿二年(1226)三月小十八日癸酉。晴れです。大慈寺の仏舎利を供養する法事は何時もの通りです。竹御所と泰時さんが参加しましたそうな。

嘉祿二年(1226)三月小廿日乙亥。霽。戌刻。京都使者參着。將軍家去十三日聽禁色給云云。

読下し                   はれ  いぬのこく きょうと  ししゃさんちゃく   しょうぐんけ さんぬ じうさんにちきんじき  ゆる  たま    うんぬん
嘉祿二年(1226)三月小廿日乙亥。霽。戌刻。京都の使者參着す。將軍家、去る十三日禁色@を聽し給ふと云云。

参考@禁色は、天武天皇が階級により衣装を八色に決めた。上位七色は許可がないと着られない。深蘇芳・深緋色・深紫・梔子・黄丹・赤・青・白。

現代語嘉祿二年(1226)三月小二十日乙亥。晴れました。午後八時頃、京都からの使いが到着しました。将軍家頼経さんに、先日の13日に高貴な者しか着られない制限されている色を許可されました。

説明蘇芳(すおう)は、紅色。熱帯原産のマメ科の植物の木で染めると赤みのかかった紫(紅色)。緋色(ひいろ)は、深紅色・スカーレット。梔子(くちなし)は、赤みを帯びた黄色。黄丹(おうたん)は、紅花(べにばな)と梔子(くちなし)で染めた赤みの強い黄赤。

嘉祿二年(1226)三月小廿三日戊寅。リ。自一條殿被調進禁色御裝束。今日到來。

読下し                     はれ  いちじょうどの よ  ととの すす  られ  きんじき  みしょうぞく きょう とうらい
嘉祿二年(1226)三月小廿三日戊寅。リ。一條殿@自り調へ進め被る禁色の御裝束、今日到來す。

参考@一條殿は、九条道家で九条頼経の父から装束が送られてきた。

現代語嘉祿二年(1226)三月小二十三日戊寅。晴れです。一條殿九条道家から、許可された高貴な色の着物が送られ、今日到着しました。

嘉祿二年(1226)三月小廿七日壬午。霽。如法經十種供養。導師莊嚴房律師。武州令聽聞給。

読下し                     はれ  にょほうきょうじっしゅ  くよう   どうし   しょうごんぼうりっし  ぶしゅう ちょうもんせし  たま
嘉祿二年(1226)三月小廿七日壬午。霽。如法經十種の供養。導師は莊嚴房律師@。武州 聽聞令め給ふ。

参考@莊嚴房律師は、栄西の弟子退耕行勇。

現代語嘉祿二年(1226)三月小二十七日壬午。晴れました。法華経十種を唱える法事です。指導僧は荘厳房律師退耕行勇。泰時さんもお経を聞きました。

嘉祿二年(1226)三月小廿九日甲申。辰刻地震。

読下し                      たつのこくぢしん
嘉祿二年(1226)三月小廿九日甲申。辰刻地震。

現代語嘉祿二年(1226)三月小二十九日甲申。午前八時頃、地震です。

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