吾妻鏡入門第卅巻

文暦二年乙未(1235)閏六月大

文暦二年(1235)閏六月大三日甲午。上野入道辞申評定衆。是短慮迷易。不弁是非之間。無所于欲獻意見云々。武州被仰云。五月初參。今月辞退。物忩事歟云々。上州重申云。初參之日。即雖可辞申之。爲胎眉目於子葉。憖懸其号。渉一兩月訖。於今者難參勤云々。此上有許容。

読下し                     こうづけにゅうどう ひょうじょうしゅう  じ   もう
文暦二年(1235)閏六月大三日甲午。上野入道、 評定衆 を辞し申す。

これ  たんりょまよ  やす     ぜひ  わきま ざるのあいだ  いけん  けん      ほっ    に ところな    うんぬん
是、短慮迷い易く、是非を弁へ不之間、意見を献ぜんと欲する于所無しと云々。

ぶしゅう  おお  られ  い       ごがつ  ういざん  こんげつ  じたい  ぶっそう  ことか  うんぬん じょうしゅうかさ   もう    い
武州、仰せ被て云はく。五月の初參、今月の辞退、物忩の事歟と云々。上州重ねて申して云はく。

ういざんの ひ  すなは これ  じ   もう  べ    いへど    びもく を しよう  のこ    ため なまじい そ  ごう  か     いちりょうげつ わた をはんぬ
初參之日、即ち之を辞し申す可きと雖も、眉目@於子葉Aに胎さん爲、憖に其の号を懸け、一兩月に渉り訖。

いま  をい  は さんきん  がた   うんぬん  かく  うえ  きょようあ
今に於て者參懃し難しと云々。此の上は許容有り。

参考@眉目は、名誉。
参考A子葉は、子孫。

現代語文暦二年(1235)閏六月大三日甲午。上野入道結城朝光は、政務会議員の評定衆を辞退したいと申し出ました。「私は、思慮深くなく、しかも優柔不断で、事の是非を云えませんので、意見を申し上げたくても出来そうにもありません。」との事です。武州泰時さんが仰せになられたのは「5月に初登庁されたばかりで6月に辞退するなんて、せっかち過ぎませんか?」と問われると、朝光が続けて云うのには「初登庁の日にすぐに辞退するべきでしたが、名誉を子孫に残したいばかりに、よせばいいのにその呼び名を頂戴して一・二月にもなりました。今では無理だと承知しております。」との事でしたので、許可されました。

文暦二年(1235)閏六月大十五日丙午。明日入立秋節。明王院御堂瓦少々未被葺之間。爲御方違。可有入御越後守名越亭由。爲周防前司親實。伊賀式部入道光西。攝津左衛門尉爲光等奉行。有其沙汰。被沙汰之處。有儀俄被止之。入冬季。可有御方違云々。

読下し                        あす りっしゅう せつ  い
文暦二年(1235)閏六月大十五日丙午。明日立秋の節に入る。

みょうおういんみどう かわらしょうしょう いま  ふかれ    のあいだ おんかたたが   ため   えちごのかみ なごえてい  にゅうごあ   べ     よし
明王院御堂の瓦 少々 未だ葺被ざる之間、御方違への爲に、越後守の名越亭に入御有る可しの由、

すおうぜんじちかざね  いがのしきびにゅうどうこうさい  せっつのさえもんのじょうためみつら ぶぎょう  な     そ   さた あ
周防前司親實、伊賀式部入道光西、 攝津左衛門尉爲光等 奉行と爲し、其の沙汰有り。

 さた さる  のところ  ぎ あ     にはか これ  や   らる    とうき  い     おんかたたが  あ   べ     うんぬん
沙汰被る之處、儀有りて@俄に之を止め被る。冬季に入り、御方違へ有る可しと云々。

参考@儀有りては、文句が出て。

現代語文暦二年(1235)閏六月大十五日丙午。明日は立秋に入ります。五大堂明王院の瓦を少々葺き残しているので、縁起を担いで方角変えのため、越後守北条朝時の名越の屋敷へ入るように、周防前司中原親実・伊賀式部入道光西光宗・摂津左衛門尉狩野為光などが担当して、その検討をしました。決定しかけたところ、文句が出たので取り止めました。冬季に入ってから方角変えするようにとのことだとさ。

文暦二年(1235)閏六月大廿二日癸丑。午刻地震。

読下し                        うまのこくぢしん
文暦二年(1235)閏六月大廿二日癸丑。午刻地震。

現代語文暦二年(1235)閏六月大二十二日癸丑。昼頃に地震です。

文暦二年(1235)閏六月大廿三日甲寅。將軍家渡御馬塲殿。覽射藝。以其次。入御大膳權大夫師員屋形。即還御云々。献御引出物等云々。

読下し                        しょうぐんけ ばばどの  わた  たま    しゃげい  み
文暦二年(1235)閏六月大廿三日甲寅。將軍家馬塲殿へ渡り御ひ、射藝を覽る。

 そ  ついで もっ    だいぜんごんのたいふもりかず  やかた  い   たま    すなは かんご    うんぬん  おんひきでものら  けん      うんぬん
其の次を以て、 大膳權大夫師員 の屋形へ入り御う。即ち還御すと云々。御引出物等を献ずると云々。

現代語文暦二年(1235)閏六月大二十三日甲寅。将軍頼経様が馬場の建物へお出ましになり、弓矢の芸を見ました。そのついでに、大膳権大夫中原師員の館へ寄りました。すぐに帰られたそうな。お土産を献上したそうな。

文暦二年(1235)閏六月大廿四日乙夘。爲來八月鶴崗放生會舞樂。被召右近將監多好節。但公役不指合者可參向。若又有障者。可差多好継之由。今日被仰遣京都云々。

読下し                        きた  はちがつ つるがおか ほうじょうえ ぶがく  ため  うこんしょうげんおおののよしとき めされ
文暦二年(1235)閏六月大廿四日乙夘。來る八月の 鶴崗 放生會 舞樂の爲、 右近將監多好節 を召被る。

ただ   くえき  さしあわ  ざら  ば さんこうすべ   も   またさわ  あ   ば   おおののよしつぐ さ   べ   のよし  きょう きょうと  おお  つか  さる    うんぬん
但し公役に指合さ不ね者參向可し。若し又障り有ら者、 多好継 を差す可し之由、今日京都へ仰せ遣は被ると云々。

現代語文暦二年(1235)閏六月大二十四日乙卯。来る八月の鶴岡八幡宮での生き物を放つ儀式放生会に舞楽を奏でるため、右近将監多好節を呼びました。但し、朝廷での行事にぶつからなければ来るように。もし都合が悪ければ、多好継をよこすように、今日、京都勤務者へ仰せを派遣しましたそうな。

文暦二年(1235)閏六月大廿八日己未。今日被定起請失之篇目。所謂鼻血出事。書起請文後病事〔但除本病者〕。鵄烏矢懸事。爲鼠被食衣裳事。自身中令下血事〔但除用楊枝時并月水及痔病者〕。重輕服事。父子罪科出來事。飮食時咽事〔但被打背之程可定失者〕。乘用馬斃事。已上九ケ條。是於政道。以無私爲先。而論事有疑。决是非無端。故仰神道之冥慮。可被糺犯否云々。信濃左衛門尉行泰。圖書允C時。C判官C原季氏等爲奉行申沙汰之云々。

読下し                       きょう   きしょうしつの へんもく  さだ  られ
文暦二年(1235)閏六月大廿八日己未。今日、起請失之篇目@を定め被る。

いはゆる  はなぢ いだ  こと  きしょうもん  か   のち やまい こと 〔ただし ほんびょう はのぞ  〕  とび  からす くそ か    こと
所謂、鼻血出す事、起請文を書く後の病の事〔但し本病A者除く〕。鵄、烏の矢懸くる事、

ねずみ ためいしょう  くはれ   こと  からだ よ   ち   くだ  せし  こと  〔ただ   ようじ   もち     とき なら     げっすいおよ  じびょう  もの  のぞ  〕
鼠の爲衣裳を喰被る事、身中自り血を下り令む事〔但し楊枝を用ゐる時并びに月水及び痔病の者を除く〕

ちょうけいぶく こと   ふし   ざいか い  きた  こと  いんしょくじ  むせ  こと  〔ただ  せ   うたれ    のほど   しつ  さだ   べ   てへり〕
重輕服の事、父子に罪科出で來る事、飮食時に咽ぶ事〔但し背を打被る之程を失と定む可し者〕

じょうよう うまたお    こと  いじょう  きゅうかじょう
乘用の馬斃るる事、已上の九ケ條。

これ  せいどう  をい      し な     もっ  せん  な     しか    こと  ろん  うたが あ        ぜひ   けっ      たんな
是、政道に於ては、私無きを以て先と爲すB。而るに事を論じ疑い有りて、是非を决するに端無しC

ことさら しんどうのめいりょ  あお    はんぴ  たださる  べ     うんぬん
 故に神道之冥慮を仰ぎ、犯否を糺被る可きと云々。

しなののうえもんのじょうゆきやす  づしょのじょうきよとき せいんほうがんきよはらすえうじら ぶぎょう な   これ  もう   さた     うんぬん
 信濃右衛門尉行泰、 圖書允C時、 C判官C原季氏等 奉行と爲し之を申し沙汰すと云々。

参考@起請失之篇目は、参篭起請文の効果を失う条件。
参考A
本病は、本(元、前)からの病気。
参考B
私無きを以て先と爲すは、えこひいきをしない。
参考C端無しは、証拠がない。

現代語文暦二年(1235)閏六月大二十八日己未。今日、約束事の時に制約する起請文の効果が無くなる場合を決めました。それは、
1、鼻血を出す事。2、起請文を書いた後病気になる事〔但し、以前からの病気は除く〕。3、鳶や烏にフンをかけられる事。4、ネズミに衣装をかじられること。5、体から出血する事〔但し爪楊枝を使った時と生理と痔を除く〕。6、喪が生じた時。7、父か子が犯罪を犯した時。8、食事中にむせた時〔但し背中を討ってもらわなければならない程の時〕。9、何時も乗っている馬が死んだとき。以上の9条です。
それに政治的判断はえこひいきをしない事をまず第一とする。しかし、訴訟での論議に疑いが生じて、是非を決めにくい時は、特に神様の御判断を仰いで、有罪無罪をはんだんするようにとの事だそうな。信濃右衛門尉二階堂行泰・図書允清原清時・判官清原季氏等が担当して、これを将軍に報告し実施するそうな。

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