吾妻鏡入門第卅一巻  

嘉禎三年丁酉(1237)二月小

嘉禎三年(1237)二月小一日庚寅。大夫判官定員上洛。

読下し                   たいふほうがんさだかず じょうらく
嘉禎三年(1237)二月小一日庚寅。大夫判官定員@上洛す。

参考@大夫判官定員は、京都から三寅(頼経)と一緒に来ている。

現代語嘉禎三年(1237)二月小一日庚寅。大夫判官藤原定員が、京都へ出発です。

嘉禎三年(1237)二月小十五日丁酉。霽。將軍家二所御精進始。

読下し                     はれ  しょうぐんけ  にしょ   ごしょうじんはじ
嘉禎三年(1237)二月小十五日丁酉。霽。將軍家、二所@の御精進始め。

参考@二所は、二所詣でといって箱根權現と伊豆山權現の二箇所に詣でる。必ず三島神社にも詣でる。

現代語嘉禎三年(1237)二月小十五日丁酉。晴れました。将軍頼経様は、箱根伊豆の二所詣での精進潔斎を始めました。

嘉禎三年(1237)二月小廿一日癸卯。リ。將軍家二所御進發。匠作扈從給。其外濟々焉。随兵四十餘騎也。

読下し                     はれ  しょうぐんけ  にしょ  ごしんぱつ  しょうさく こしょう  たま    そ   ほか せいせいたり  ずいへい よんじうよきなり
嘉禎三年(1237)二月小廿一日癸卯。リ。將軍家、二所へ御進發。匠作扈從し給ふ。其の外 濟々焉@。随兵 四十餘騎也。

参考@濟々焉は、大物が大勢。

現代語嘉禎三年(1237)二月小二十一日癸卯。晴れです。将軍頼経様は、箱根伊豆の二所詣でへ出発です。匠作時房さんがお供です。その他にも大物が大勢です。武装儀仗兵は四十騎です。

嘉禎三年(1237)二月小廿六日戊申。陰。自二所御下向。御往還之間。無風雨之難。」今日京都使者參。攝祿被移御聟近衛左府〔兼|〕之間。去十日御拝賀。扈從公卿十人云々。

読下し                     くもり   にしょ よ   ごげこう    ごおうかん のあいだ   ふうう の なん な
嘉禎三年(1237)二月小廿六日戊申。陰。二所自り御下向。御往還之間、風雨之難無し。」

きょう   きょうと   ししゃまい    せつろく  おんむここのえさふ 〔かねつね〕    うつらる のあいだ さんぬ とおか ごはいが   こしょう   くぎょう じうにん  うんぬん
今日、京都の使者參る。攝祿、御聟近衛左府〔兼|〕@移被る之間、去る十日御拝賀、扈從の公卿十人と云々。

参考@〔兼|〕は、尊敬を表わす欠字で、兼経。

現代語嘉禎三年(1237)二月小二十六日戊申。曇りです。二所詣でからお帰りです。往復する間風雨の心配はありませんでした。」
今日、京都からの使いが来ました。摂政の役を九条道家様から婿の近衛左大臣〔兼経〕に移ったので、先日十日に天皇へお礼参りをしました。お供をした公卿は十人だそうです。

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