吾妻鏡入門第卅五巻

寛元二年甲辰(1244)七月大

寛元二年(1244)七月大五日癸卯。永福寺并兩方脇堂有修理之儀。今日事始也。肥前々司久良。中民部大夫元業等爲行事。件寺右大將軍御時。文治五年依殊素願被建立之後。積數十廻星霜之間。已及破壞云々。

読下し                    ようふくじ なら   りょうほう  わきどうしゅうり のぎ あ     
寛元二年(1244)七月大五日癸卯。永福寺并びに兩方の脇堂修理之儀有り。

きょう ことはじ  なり  ひぜんぜんじひさよし  なかみんぶたいふもとなりら ぎょうじたり
今日事始め也。肥前々司久良、中民部大夫元業等行事爲。

くだん てら  うだいしょうぐん  おんとき  ぶんじごねん こと    そがん  よっ  こんりゅうされ ののち  すうじっかい せいそう  つ  のあいだ  すで  はかい  およ    うんぬん
件の寺は右大將軍の御時、文治五年殊なる素願に依て建立被る之後、數十廻の星霜を積む之間、已に破壞に及ぶと云々。

現代語寛元二年(1244)七月五日癸卯。永福寺二階堂それに両方の脇堂薬師堂と阿弥陀堂の修理がありました。今日、作事始め式です。肥前前司久良と民部大夫中原元業が、進行係です。このお寺は、右大将頼朝様の時代、文治五年に特別な祈願があって建立された後、数十年も経ちましたので、既にあちこち壊れてきたんだそうな。

寛元二年(1244)七月大十三日辛亥。此程。於久遠壽量院。有供花之儀。今日。大殿并將軍家令供之給。女房數輩爲巡役參勤之云々。

読下し                     こ   ほど  くおんじゅりょういん  をい     くげ  のぎ あ
寛元二年(1244)七月大十三日辛亥。此の程、久遠壽量院に於て、供花之儀有り。

きょう  おおとのなら   しょうぐんけこれ  そな  せし  たま
今日大殿并びに將軍家之を供へ令め給ふ。

にょぼう すうやから じゅんえき な  これ  さんきん   うんぬん
女房 數輩、巡役と爲し之に參勤すと云々。

現代語寛元二年(1244)七月十三日辛亥。この度、前大納言家頼経様の持仏堂久遠寿量院で、献花の儀式がありました。今日、大殿前大納言家頼経様と将軍家頼嗣がこれを供えられました。女官が数人が順番を組んでこのお手伝いの役を勤めましたとさ。

八月へ

吾妻鏡入門第卅五巻

inserted by FC2 system