吾妻鏡入門第卅八巻

寳治元年丁未(1247)三月大10才

寳治元年(1247)三月大二日乙夘。今曉寅刻。足利宮内少輔泰氏室卒去〔是左親衛妹公也〕云々。」今日可摺寫不動并慈慧大師像之由。被仰政所之間。有其沙汰云々。

読下し                  こんぎょうとらのこく あしかがくないしょうゆうやすうじ しつそっきょ 〔これさしんえい いもうとぎみ なり〕     うんぬん
寳治元年(1247)三月大二日乙夘。今曉寅刻、足利宮内少輔泰氏が室卒去〔是左親衛 妹公@也〕すと云々。」

きょう    ふどう なら     じえいだいしぞう   すりうつ  べ   のよし まんどころ  おお  らる  のあいだ  そ    さた あ     うんぬん
今日、不動并びに慈慧大師像Aを摺寫す可し之由、政所に仰せ被る之間、其の沙汰有りと云々。

参考@左親衛 妹公は、正しくは姉。
参考A慈慧大師は、良源。比叡山再興の祖。通称「元三大師」。亡くなった日が1月3日=元三なので、元三大師の名前が生まれた。角大師は、元三大師が鬼の姿になって疫病神を追い払った時の姿と言われている。角が生え、目がグリグリッと丸く、口が耳まで裂け、あばら骨が浮いて見える。この姿を描いたお札は、門口に貼る魔除のお札として知られ、鬼守りとも呼ばれる。

現代語宝治元年(1247)三月大二日乙卯。今朝の4時頃に、足利宮内少輔泰氏の妻が亡くなったそうな〔時頼さんの姉です〕。」
今日、お不動さんと元三大師慈慧の像を版木から摺り写すように、将軍が政務事務所に云いつけましたので、その処理をしました。

寳治元年(1247)三月大三日丙辰。營中有闘鶏御會也。此間若狹前司等聊喧嘩云々。

読下し                   えいちゅう とうけい  おんえ あ   なり  こ  あいだ  わかさのぜんじら いささ けんか    うんぬん
寳治元年(1247)三月大三日丙辰。營中に闘鶏の御會有る也。此の間、若狹前司等聊か喧嘩すと云々。

現代語宝治元年(1247)三月大三日丙辰。幕府御所で闘鶏の会がありました。その開催中に興奮して若狭前司三浦泰村たちが多少言い争いをしましたとさ。

寳治元年(1247)三月大十一日甲子。由比濱潮變色。赤而如血。諸人群集見之云云。

読下し                      ゆいはま うしおへんしょく   あか    て ち   ごと    しょにんぐんしゅう これ  み     うんぬん
寳治元年(1247)三月大十一日甲子。由比濱の潮變色す。赤くし而血の如し。諸人群集し之を見ると云云。

現代語宝治元年(1247)三月大十一日甲子。由比ガ浜の海の色が変色しました。赤くてまるで血のようでした。人々は群れ集まって之を見たそうです。

寳治元年(1247)三月大十二日乙丑。戌刻。大流星自艮方行坤。有音。長五丈。大如圓座。無比類云云。

読下し                    いぬのこく ぢりゅうせい うしとらかたよ  ひつじさる い     おとあ     なが  ごじょう  おお    えんざ   ごと
寳治元年(1247)三月大十二日乙丑。戌刻。大流星 艮方 自り 坤へ 行く。音有り。長さ五丈。大きな圓座の如し。

ひるい な    うんぬん
比類無しと云云。

現代語宝治元年(1247)三月大十二日乙丑。午後8時頃、大流星が東北から南西へ走りました。音もありました。長さが15mで大きな円座のようでした。かつて比べられる例の無い事だそうな。

寳治元年(1247)三月大十六日己巳。戌四點。鎌倉中騒動。然而依無其實。及曉更靜謐云々。

読下し                     いぬのよんてん  かまくらじゅう そうどう    しこ    て そ   じつな     よっ   ぎょうこう  およ  せいひつ    うんぬん
寳治元年(1247)三月大十六日己巳。戌四點@に、鎌倉中 騒動す。然うし而其の實無きに依て、曉更に及び靜謐すと云々。

現代語宝治元年(1247)三月大十六日己巳。午後8時半過ぎに鎌倉中が大騒ぎです。しかし、何もなかったので、明け方になって静まりましたとさ。

解説@時刻の點は、2時間を5等分したのが点。戌なら19時〜19:24を一点、19:24〜19:48を二点、19:48〜20:12を三点、20:12〜20:36を四点、20:36〜21:00を五点。

寳治元年(1247)三月大十七日庚午。黄蝶群飛〔幅假令一許丈。列三段許〕。凡充滿鎌倉中。是兵革兆也。承平則常陸下野。天喜亦陸奥出羽四箇國之間有其怪。將門貞任等及鬪戰訖。而今此事出來。猶若可有東國兵亂歟之由。古老之所疑也。

読下し                     きちょう むれと    〔はばかりょういちばか  じょう  れつさんだんばか  〕   おそ  かまくらじゅう じゅうまん  これへいかく きざしなり
寳治元年(1247)三月大十七日庚午。黄蝶@群飛ぶ〔幅假令一許り丈。列三段許り〕。凡そ鎌倉中に充滿す。是兵革の兆也。

しょうへい すなは ひたち しもつけ  てんき また むつ でわ よんかこく のあいだ  そ  あやしあ    まさかど さだとうら とうせん  およ をはんぬ
承平A 則ち常陸 下野、天喜B亦陸奥出羽四箇國C之間、其の怪有り。將門貞任等鬪戰に及び訖。

しか    いま こ  こといできた   なおも   とうごく  へいらんあ   べ   か  のよし  ころう のうたが ところなり
而るに今此の事出來る。猶若し東國に兵亂有る可き歟之由、古老之疑う所也。

参考@黄蝶は、吾妻鏡では「合戦の前兆」として扱っている。最初が@文治二年(1186)五月一日。和田合戦直後の(A建暦三年(1213)八月廿二日)やこの日1247.03.17Bや翌年(C寳治二年(1248)九月小七日、D寳治二年(1248)九月小十九日)にも全部で五回黄蝶が飛んでいる。
参考A承平631−938は、将門の承平の乱。
参考B天喜1053−1058は、前九年の役の始まり。
参考C
陸奥出羽四箇國とあるが、この頃は二カ国ではないのか?

現代語宝治元年(1247)三月大十七日庚午。黄色い蝶々の群れが飛びました〔幅は凡そ3mちょっと、列は三段ほどです〕。ほぼ鎌倉中にいっぱいです。これは戦の起こる前兆です。承平にそれは常陸・下野に、天喜にまた陸奥・出羽四か国にこの不思議があって、(平)将門や(安倍)貞任が戦争を起こしました。それなのに今このような事が出来するのは、もしかしたら当国で合戦があるのかもしれないと、年寄が疑っていました。

解説あたかも予言しているかのようであるが、書かれたのは後日である。

寳治元年(1247)三月大廿日癸酉。故武州禪室〔經時〕周闋佛事也。彼墳墓梵宇。今日被遂供養。宰相法印信助爲導師。左親衛。松下禪尼以下聽聞。緇素成群云云。

読下し                    こぶしゅぜんしつ 〔つねとき〕   しゅうけつ ぶつじ なり   か   ふんぼ ぼんう   きょう くよう    と   らる
寳治元年(1247)三月大廿日癸酉。故武州禪室〔經時〕が周闋の佛事@也。彼の墳墓梵宇、今日供養を遂げ被る。

さいしょうほういんしんじょどうしたり  さしんえい  まつしたぜんに いげ ちょうもん     しそ むれ  な    うんぬん
宰相法印信助導師爲。左親衛、松下禪尼以下聽聞す。緇素群を成すと云云。

参考@周闋の佛事は、一周忌の法要。

現代語宝治元年(1247)三月大二十日癸酉。故武州禅室〔経時〕の一周忌の法事です。そのお墓堂で、今日法要を行いました。宰相法印信助が指導僧です。左親衛(時頼)と母の松下禅尼以下が出席しお経を聴きました。出家も俗人も大勢群れ集まりましたとさ。

寳治元年(1247)三月大廿七日庚寅。今曉越後入道息女入洛。是依可嫁于六波羅相摸大夫將監長時朝臣也。

読下し                     こんぎょうえちごにゅうどう  そくじょにゅうよく   これ  ろくはら さがみたいふしょうげんながとき あそんに か   べ     よっ  なり
寳治元年(1247)三月大廿七日庚寅。今曉越後入道@が息女入洛す。是、六波羅相摸大夫將監長時A朝臣于嫁す可きに依て也。

参考@越後入道時盛は、時政―時房―時盛(51才)―女。
参考A
長時は、時政―義時―重時―長時。

現代語宝治元年(1247)三月大二十七日庚寅。今朝、越後入道(北条時盛)の娘が京入りしました。これは、六波羅探題の相摸大夫将監長時(重時息)に嫁入りするからです。

寳治元年(1247)三月大廿八日辛巳。爲將軍家御祈。不動尊并慈慧大師像一萬體被摺寫之。今日有供養之儀。導師松殿法眼也。信濃民部大夫入道行然奉行之。

読下し                     しょうぐんけ  おいのり  ため  ふどうそんなら    じえいだいしぞういちまんたいこれ すりうつさる
寳治元年(1247)三月大廿八日辛巳。將軍家の御祈の爲、不動尊并びに慈慧大師像一萬體之を摺寫被る。

きょう   くよう  の ぎ あ     どうし  まつどのほうげんなり  しなのみんぶのたいふにゅうどうぎょうねん これ  ぶぎょう
今日、供養之儀有り。導師は松殿法眼也。 信濃民部大夫入道行然 之を奉行す。

現代語宝治元年(1247)三月大二十八日辛巳。将軍家頼嗣様のお祈りの為、2日に始めたお不動さんと元三大師の像、1万体を摺り終えました。今日、開眼供養の儀式がありました。指導僧は松殿法眼良基です。信濃民部大夫入道行然(二階堂行盛)が担当しました。

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