吾妻鏡入門第五十一巻

弘長三年(1263)二月大

弘長三年(1263)二月大二日壬子。小雨降。入夜庭上雪白。於御所有當座和歌御會。是臨時之儀也。然而相州令參給。縡及曉更。

読下し              こさめ ふ     よ  い  ていじょう ゆき  しろ    ごしょ  をい  とうざ   わか  おんえ あ    これりんじ のぎ なり
弘長三年(1263)二月大二日壬子。小雨降る。夜に入り庭上 雪に白し。御所に於て當座の
@和歌の御會有り。是臨時之儀也。

しか ども そうしゅう さん  せし  たま  ことぎょうこう およ
然れ而 相州 參じ令め給ふ。縡曉更に及ぶ。

参考@當座のは、今急にする事になった。

現代語弘長三年(1263)二月大二日壬子。小雨が降りました。夜になって庭は雪で真っ白です。御所で今急に和歌の会がありました。これは予定外の臨時の事です。それでも、相州政村は参りました。明け方まで続きました。

弘長三年(1263)二月大五日乙夘。自明日依可有御祈。爲大阿闍梨左大臣法印休所。被點和泉前司行方家云云。

読下し               あす よ  おいの  あ   べ     よっ   だいあじゃりさだいじんほういん やすみどころ ため
弘長三年(1263)二月大五日乙夘。明日自り御祈り有る可きに依て、大阿闍梨左大臣法印が 休所の 爲、

いずみのぜんじゆきかた いえ  てん  らる   うんぬん
 和泉前司行方の 家Aを點じ被る@と云云。

参考@點じ被るは、指定する。正月十四日条で将軍が指定するように命じている。
参考A
二階堂行方の家は、永福寺跡前の通玄橋を瑞泉寺方面へ渡った左一帯であろう。後に一族の貞藤が夢窓疎石のために瑞泉寺を立ててる。
               行政┬行光
                 └行村┬行義─行藤─貞藤─
                    └行

現代語弘長三年(1263)二月大五日乙卯。明日からお祈りがありますので、大阿闍梨左大臣法印嚴恵の休息所として和泉前司二階堂行方の家を指定しましたとさ。

弘長三年(1263)二月大八日戊午。天リ。申剋雨降。今日於相州常盤御亭有和歌會。一日千首探題。被置懸物。亭主〔八十首〕。右大辨入道眞觀〔百八首〕。前皇后宮大進俊嗣〔光俊朝臣息。五十首〕。掃部助範元〔百首〕。證悟法師。良心法師以下作者十七人。辰尅始之。秉燭以前終篇。則披講。範元一人勤其役。

読下し             そらはれ さるのこくあめふ   きょう  そうしゅう ときわ  おんてい  をい  わか   え あ
弘長三年(1263)二月大八日戊午。天リ。申剋雨降る。今日、相州が常盤の御亭
@に於て和歌の會有り。

いちにち せんしゅ たんだい  かけもの  おかる
 一日 千首を探題しA、懸物Bを置被る。

ていしゅ 〔はちじゅっしゅ〕 うだいべんにゅうどうしんかん 〔ひゃくはっしゅ〕 さきのこうごうぐうだいさかんとしつぐ 〔みつとしあそんそく ごじゅっしゅ〕  かもんのすけのりもと 〔ひゃくしゅ〕
亭主〔八十首〕。 右大辨入道眞觀C〔百八首〕。 前皇后宮大進俊嗣 〔光俊朝臣息。五十首〕。 掃部助範元 〔百首〕

しょうごほっし りょうしんほっし いげ さくしゃじゅうしちにん たつのこく これ  はじ  へいしょくいぜん しゅうへん  すなは ひこう    のりもと ひとり そ  やく つと
證悟法師・良心法師 以下 作者十七人。 辰尅に之を始め、秉燭以前に終篇すD。則ち披講すE。範元一人其の役を勤む。

参考@相州が常盤の御亭は、鎌倉市常盤772番地の発掘調査跡地を指定している。
参考A探題は、和歌の題を作っておいてくじ引きで題を充てる。
参考B懸物は、負けたら負担する物を懸けるが、和歌集や香炉・衣料など。
参考C
右大辨入道眞觀は、葉室光俊(1203-1276)。定家に師事。父は葉室光親、母は藤原経子(順徳天皇の乳母)。娘に尚侍家中納言(藤原親子)。
参考D
辰尅に之を始め、秉燭以前に終篇すは、午前8時頃から始めて夕方に終えた。
参考E披講は、和歌を詠みあげる。

現代語弘長三年(1263)二月大八日戊午。空は晴です。午後四時頃に雨です。今日、相州政村の常盤の別荘で和歌の会がありました。一日で千首の和歌の題を作っておいてくじ引きで題を充て、敗けたら負担する賞品を置きました。亭の主政村〔八十首〕、右大弁入道真観葉室光俊〔百八首〕、前皇后宮大進俊嗣〔光俊さんの息子、五十首〕、掃部助範元〔百首〕、證悟法師・良心法師以下の作者十七人です。午前八時頃から初めて、灯りをつける時間前に終えました。すぐに和歌を読み上げました。範元一人がその役をこなしました。

弘長三年(1263)二月大九日己未。天リ。昨日千首和歌爲合點。被送大掾禪門云云。

読下し             そらはれ きのう  せんしゅ わか がってん  ため だいじょうぜんもん おくらる   うんぬん
弘長三年(1263)二月大九日己未。天リ。昨日の千首の和歌合點
@の爲、 大掾禪門Aに送被ると云云。

参考@合點は、評価してもらう。
参考A
大掾禪門は、この頁しか出演が無いので誰だか分からない。しかし、十日の記事から推理すると
入道真観葉室光俊らしい。

現代語弘長三年(1263)二月大九日己未。空は晴です。昨日の千首の和歌の採点の為に、大掾禅門葉室光俊に送付しましたとさ。

弘長三年(1263)二月大十日庚申。朝間雨降。被千首合點之後。於常盤御亭更被披講。今夜以合點員數被定座次第。一座辨入道。第二範元。第三亭主。第四證悟也。亭主以範元下座之儀。可着對座之由。被稱之處。大掾禪門云。以合點員數。可守其座次之由。治定先訖。而非一行座者。頗可爲無念歟云云。其詞未終。亭主起座。欲被着于範元之座下。于時範元又起座逐電之處。即令人抑留之給。又任點數分懸物。大掾禪門分被置虎皮上。範元熊皮。亭主色革。以下准之。無點之輩儲其座於縁。雖羞膳。撤箸之間。無箸而食之。滿座莫不解頤。掃部助範元者。去正月爲上洛雖申暇。依此御會。内々被留之。懸物之中。於旅具者悉以拝領之。

読下し              あさ あいだ あめふ   せんしゅがってんさる ののち  ときわ おんてい  をい さら   ひこうさる
弘長三年(1263)二月大十日庚申。朝の間 雨降る。千首合點被る之後、常盤の御亭に於て更に披講被る。

こんやがってん いんずう もっ  ざ   しだい  さだ  らる   いちざ べんのにゅうどう  だいに のりもと  だいさん ていしゅ だいよん しょうごなり
今夜合點の員數を以て座の次第を定め被る。一座は辨入道
@。 第二は範元。 第三は亭主。第四は證悟也。

ていしゅ のりもと  しもざ のぎ  もっ    たいざ  つ   べ   のよし  しょうさる のところ だいじょうぜんもん い     がってん  いんずう  もっ
亭主、範元が下座之儀を以て、對座に着く可し之由、稱被る之處、 大掾禪門 云はく。合點の員數を以て、

 そ  ざつぎ  まも  べ  のよし  ちじょうさき  をは      しか   いっこう  ざ  あらざ ば  すこぶ むねんたるべ  か  うんぬん
其の座次を守る可き之由、治定先に訖んぬ。而るに一行の座に非れ者、頗る無念爲可き歟と云云。

 そ ことばいま おわ       ていしゅ ざ  た    のりもと のざしもに つかれん ほっ
其の詞未だ終らずに、亭主座を起ち、範元之座下于着被と欲す。

ときに のりもと また ざ  た  ちくでんのところ すなは ひと  し   これ よくりゅう たま
時于範元 又座を起ち逐電之處、 即ち 人を令て之を抑留し給ふ。

また てんすうぶん まか  かけもの だいじょうぜんもん わか    とらがわ  うえ おかる   のりもと  くまがわ  ていしゅ いろかわ  いげ これ なぞら
又 點數分に任すの懸物、 大掾禪門 分ちて虎皮の上に置被る。範元は熊皮。亭主は色革。以下之に准う。

むてんのやからそ  ざを えん  もう    ぜん  つく   いへど   はし  てっ   のあいだ  はしな   てこれ  くら    まんざあぎと とかざる なし
無點之輩其の座於縁に儲く。膳を羞すと雖も、箸を撤する之間、箸無くし而之を食う。滿座頤を不解は莫。

かもんのすけのりもとは さんぬ しょうがつ じょうらく ためいとも もう   いへど   こ  おんえ  よっ   ないない  これ  とど  らる
 掃部助範元者、去る 正月 上洛の爲暇を申すと雖も、此の御會に依て、内々に之を留め被る。

かけもののなか   りょぐ  をい  はことごと もっ  これ はいりょう
懸物之中に、旅具に於て者悉く以て之を拝領す。

参考@辨入道は、宗尊親王将軍家の和歌の師匠葉室光俊。
参考A
下座之儀を以て、對座に着く可しは、下座では何なので、対座に座ったらどうかと言った。
参考B箸を撤する之間は、縁側の連中は箸を片づけられ、箸無しで食うので、それがおかしいと皆笑った。

現代語弘長三年(1263)二月大十日庚申。朝の間は雨でした。千首の採点をされた後、常盤の屋敷でなお読み上げました。今夜採点の得点の順に座席を決めました。一番座は、弁入道真観葉室光俊。二番座は、掃部助範元。三番座は、亭の主の政村。四番座は、證悟法師です。
亭の主政村は、
掃部助範元が「主が下座になるのは何なので向かいの座に座るように」と云ったところ、大掾禅門葉室光俊が云うには、「採点の得点でその座席順を待るべきだと前もって決めていたじゃないか。それなのに一行に座らないのなら、何の意味もないじゃないですか。」との事です。
その言葉が終わらないうちに、あわてて政村は座を立って、範元の下座に座ろうとしました。その時、範元もまた座を立って出て行こうとしたので、すぐに人をやって呼び止めました。
また、点数分に合わせた賞品を、光俊が分けて虎の皮の上に並べました。範元は熊の皮、政村は色染めの皮、以下もこれと同じようでした。
点の取れなかった連中は、座席を部屋の外の縁側に用意しました。御膳を用意しましたが、箸を片づけたので、箸無しでこれを食べました。万座の人で笑わない人はいませんでした。
掃部助範元は先日の正月に京都へ上るため、挨拶を云いだしましたが、この会があるので、内々に留めて置きました。賞品の中の旅道具については、全て戴くことになりました。

三月へ

吾妻鏡入門第五十一巻

inserted by FC2 system