吾妻鏡入門第十八巻

元久二年乙丑(1205)十一月大

元久二年(1205)十一月大三日乙酉。小澤左近將監信重相伴綾小路三位〔師季〕息女〔二歳〕自京都參着。即以行光。啓事由於尼御臺所云々。是母儀者。稻毛三郎入道重成女。遠州禪室御外孫也。去六月重成入道被誅之後。乳母夫信重雖有扶持之号。猶恐彼餘殃。隱居之處。尼御臺所可有御哀愍之由。内々被仰之間。參向云々。

読下し                     おざわのさこんしょうげんのぶしげ あやのこうじさんみ 〔のりすえ〕   そくじょ  〔にさい〕    あいともな きょうとよ   さんちゃく
元久二年(1205)十一月大三日乙酉。 小澤左近將監信重、綾小路三位〔師季〕が息女〔二歳〕を相伴い京都自り參着す。

すなは ゆきみつ もっ    こと  よしを あまみだいどころ もう    うんぬん
即ち行光を以て、事の由於尼御臺所に啓すと云々。

これ  はは  ぎ は   いなげのさぶろうにゅうどうしげなり むすめ  えんしゅうぜんしつ ごがいそんなり
是、母の儀者、 稻毛三郎入道重成 が女@。遠州禪室の御外孫也。

さんぬ ろくがつ しげなりにゅうどう ちうさる ののち   めのと のぶしげ ふち の ごうあ    いへど  なお か  よ  わざわい おそ    いんきょのところ
去る六月 重成入道 誅被る之後、乳母夫信重扶持之号有ると雖も、猶彼の餘の殃を恐れ、隱居之處、

あまみだいどころ ごれんみんあ   べ   のよし  ないないおお らる  のかん  さんこう    うんぬん
尼御臺所、御哀愍有る可き之由、内々仰せ被る之間、參向すと云々。

参考@稻毛三郎入道重成が女は、政子の姪に当たる。

現代語元久二年(1205)十一月大三日乙酉。小沢左近将監信重が、綾小路三位〔師季〕の娘〔二才〕を連れて京都から到着しました。すぐに二階堂行光を通して状況を尼御台所政子様に報告しました。この娘の母は稲毛三郎入道重成の娘なので、遠江守北条時政殿の外孫に当たります。先だっての六月に稲毛重成入道は処刑されたので、乳母夫の重信は養育係なので、その余波を受ける事を危惧して、隠れ潜んでいましたが、尼御台所政子様がかわいそうに思って、内緒で言い出したのでやってきたんだそうな。

元久二年(1205)十一月大四日丙戌。リ。入夜。綾小路姫君被參尼御臺所御亭。可爲御猶子之儀也。武藏國小澤郷〔稻毛入道遺領〕可被知行之由。被仰云々。

読下し                     はれ  よ   い    あやのこうじひめぎみ あまみだいどころ おんてい  まいらる    ごゆうし  たるべ   の ぎ なり
元久二年(1205)十一月大四日丙戌。リ。夜に入り。綾小路姫君、 尼御臺所の御亭へ參被る。御猶子爲可き之儀也。

むさしのくにおざわごう 〔いなげにゅうどう  いりょう〕  ちぎょうさる  べ    のよし  おお  らる    うんぬん
武藏國小澤郷@〔稻毛入道が遺領〕知行被る可し之由、仰せ被ると云々。

参考@小澤郷は、西は東京都稲城市坂浜から東は神奈川県川崎市多摩区菅のあたりまで。

現代語元久二年(1205)十一月大四日丙戌。晴れです。夜になって、綾小路姫君は、尼御台所政子様の屋敷へ連れてこられました。相続権のない養子の猶子になる儀式のためです。武蔵国小沢郷〔元稲毛重成の領地〕を領地とするように仰せになられましたとさ。

元久二年(1205)十一月大十五日丁酉。相馬次郎師常卒〔年六十七〕令端座合掌。更不動搖。决定往生敢無其疑。是念佛行者也。稱結縁。緇素擧集拝之。

読下し                      そうまのじろうもろつね そつ 〔としろくじうしち〕  たんざせし  がっしょう   さら  どうようせず  けつじょうおうじょうあ   そ  うたが な
元久二年(1205)十一月大十五日丁酉。相馬次郎師常@〔年六十七〕。端座令め合掌す。更に動搖不。决定往生敢えて其の疑い無し。

これ ねんぶつぎょうじゃなり けちえん しょう    しそ あ     あつ    これ  はい
是、念佛行者也。結縁と稱し。緇素擧げて集まり之を拝す。

参考@相馬次郎師常は、千葉介常胤の次男で将門の子孫の相馬家へ養子に入った。

現代語元久二年(1205)十一月大十五日丁酉。相馬次郎師常が亡くなりました〔年は六十七才〕。座禅の座り方端座(結跏趺坐)して手を合わせ合掌した形のままです。まったく微動だにせず、必ず極楽に往生することは、間違い無いでしょう。この人は念仏の信仰者です。縁にあやかりたいと、僧俗共に集まってこれを拝みました。

元久二年(1205)十一月大廿日壬寅。於爲和与芳心物者。不可改變之由。今日被定。圖書允C定奉行之。

読下し                     わよ ほうじんたるもの  をい  は   かいへん べからず のよし  きょう さだ  らる    としょのじょうきよsだこれ ぶぎょう
元久二年(1205)十一月大廿日壬寅。和与芳心爲物に於て者、改變す不可@之由、今日定め被る。圖書允C定之を奉行す。

参考@改變す不可は、悔い返しの禁。

現代語元久二年(1205)十一月大二十日壬寅。和解し善意で与えたものは、再審請求(悔い返し)をしてはならないと、今日決定しました。図書允清定がこれを担当しました。

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