吾妻鏡入門第十八巻

建永元年丙寅(1206)十月大

建永元年(1206)十月大廿日丁夘。陰。左金吾將軍御息若君〔善哉公〕依尼御臺所之仰。爲將軍家御猶子。始入御營中。御乳母夫三浦平六兵衛尉義村献御賜物等。

読下し                    くも    さきんしょうぐん  おんそくわかぎみ 〔ぜんさいぎみ〕 あまみだいどころの おお   よっ    しょうぐんけ  ごゆうし   な
建永元年(1206)十月大廿日丁夘。陰り。左金吾將軍が御息若君〔善哉公〕尼御臺所之仰せに依て、將軍家の御猶子と爲す。

はじ   えいちう  にゅうぎょ  おんめのと  みうらのへいろくひょうえのじょうよしむら おんおくりものら けん
始めて營中に入御す。御乳母夫@の三浦平六兵衛尉義村、御賜物等を献ずA

参考@御乳母夫は、分かりやすいように漢字では「乳母」「乳母夫」「乳母兄」などで書かれるが、読みはすべて「めのと」である。
参考A御賜物等を献ずは、善哉へなのか、それとも乳母夫として将軍実朝へなのか、どちらだろう。多分後者であろう。

現代語建永元年(1206)十月大二十日丁卯。曇。左衛門督頼家様の息子〔善哉君〕を、尼御台所政子様の命令で将軍実朝様の相続権のない養子の猶子にしました。そして初めて御所へ入りました。育ての親である乳母夫の三浦平六兵衛尉義村が、贈り物を献上しました。

建永元年(1206)十月大廿四日辛未。相州二男〔年十三〕於御所元服。号次郎朝時。

読下し                     そうしゅう  じなん  〔としじうさん〕  ごしょ  をい  げんぷく  じろうともとき  ごう
建永元年(1206)十月大廿四日辛未。相州が二男〔年十三〕御所に於て元服。次郎朝時@と号す。

参考@朝時は、実名で文字は親から一文字(通字の時)と加冠親から一文字貰う(朝)のでは実朝が加冠親らしい。

現代語建永元年(1206)十月大二十四日辛未。義時の次男の〔年は数え年の十三〕が、御所で元服式(加冠)をして、仮名を次郎、実名を朝時と名付けました。

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