吾妻鏡入門第十九巻

承元四年庚午(1210)八月

承元四年(1210)八月大七日壬戌。鶴岳放生會舞童十二人參幕府。別當相具之。即於鞠御壷及調樂云々。

読下し                   つるがおか ほうじょうえ  ぶどう じうににん ばくふ  さん    べっとうこれ  あいぐ
承元四年(1210)八月大七日壬戌。鶴岳の放生會の舞童十二人幕府へ參ず。別當之を相具す。

すなは まり  おんつぼ  をい  ちょうがく およ    うんぬん
即ち鞠の御壷に於て調樂に及ぶと云々。

現代語承元四年(1210)八月大七日壬戌。鶴岡八幡宮の生き物を放つ儀式放生会に舞を奉納する稚児十二人が幕府へ挨拶に来ました。八幡宮長官定暁が連れて来ました。すぐに蹴鞠用の小庭で、音楽を調整練習しましたとさ。

承元四年(1210)八月大九日甲子。神社佛寺領興行事思食立。有不慮顛倒事否可尋注進之旨。今日被下御書於守護人等云々。

読下し                   じんじゃぶつじりょう  こうぎょう こと  おぼ  め   た
承元四年(1210)八月大九日甲子。神社佛寺領の興行の事を思し食し立つ。

ふりょ   てんとう  こと あ    いな  たず  ちうしんすべ  のむね  きょう おんしょを しゅごにんら   くださる    うんぬん
不慮の顛倒@の事有りや否や尋ね注進可き之旨、今日御書於守護人等に下被ると云々。

参考@顛倒は、ひっくり返すことから、荘園の年貢をきちんと納付していないこと。

現代語承元四年(1210)八月大九日甲子。将軍実朝様は、神社やお寺の領地を再建しようと思い立ちました。予想もしていない領地の喪失がないかどうか調べて書き出すように、今日命令書を各国の守護に発しましたとさ。

承元四年(1210)八月大十二日丁夘。信濃國善光寺地頭職者。故右大將軍御時。鎭狼藉可令安堵住侶之由。寺家就望申之。可被仰付便宜之輩之旨。有御沙汰之時。長沼五郎宗政申請云。吾身者先世之罪人也。爲値偶結縁給。欲被抽補當寺生身如來地頭者。仍依請之由。賜御下文之後。歴年記之處。爲寺家地頭還成煩。早可被停止之趣。本所御文到來之間。可停止彼職之由。昨日被成政所御下文。今日被申御報。廣元朝臣爲奉行云々。

読下し                     しなののくにぜんこうじ   ぢとうしきは    こうだいしょうぐん  おんとき
承元四年(1210)八月大十二日丁夘。信濃國善光寺の地頭職者、故右大將軍の御時、

ろうぜき  しず  じゅうりょ  あんどせし  べ   のよし   じけ これ  のぞ  もう    つ     びんぎのやから  おお  つ   らる  べ   のむね
狼藉を鎭め住侶を安堵令む可し之由、寺家之を望み申すに就き、便宜之輩に仰せ付け被る可し之旨、

おんさた あ   のとき  ながぬまのごろうむねまさ もう  う     い
御沙汰有る之時、 長沼五郎宗政 申し請けて云はく。

わがみは せんせのざいにんなり  ちぐう  ためけちえん  たま    とうじしょうしんにょらい  ぢとう   ぬき    ぶされ     ほっ  てへ
吾身者先世之罪人也。値偶の爲結縁し給ふ。當寺生身如來の地頭に抽んじ補被んと欲す者り。

よっ  こい  よ   のよし  おんくだしぶみ たま    ののち  ねんき  へ   のところ   じけ ぢとう  ためかへ   わずら    な
仍て請に依る之由、御下文を賜はる之後、年記を歴る之處、寺家地頭の爲還って煩いを成す。

はや  ちょうじさる  べ  のおもむき  ほんじょ おんふみとうらい    のかん  か   しき  ちょうじすべ  のよし  さくじつ まんどころ おんくだしぶみ なさる
早く停止被る可し之趣、本所@の御文到來する之間、彼の職を停止可き之由、昨日、政所の御下文を成被る。

きょう   ごほう   もうされ  ひろもとあそん ぶぎょう  な     うんぬん
今日御報を申被、廣元朝臣奉行を爲すと云々。

参考@本所は、三井寺園城寺。第六巻文治二年三月十二日条の未済名簿に善光寺は三井寺領とある。

現代語承元四年(1210)八月大十二日丁卯。信濃国善光寺の領地を管理する地頭は、頼朝様の時代に、治安を安定して坊さん達が安心して励めるように寺関係者が要望したので、誰か調度いい人に言いつけるようにお決めになられた時、長沼五郎宗政が申し出て云いました。「私の前世は人切り武士で罪ある人でした。それをぬぐって仏と縁を結ぶ為に、この寺にある生身の仏と関係ある地頭に選ばれて任命されたいのです。」と云いました。そこで希望通りに命令書を戴いた後、年がたつにつれて寺関係者は地頭のために困っております。早く止めさせて欲しいと、上級荘園領主の本所から要望書が来たので、地頭職を廃止するように、昨日政務事務所からの命令書を作成しました。今日、将軍実朝様が命じられ、大江広元が担当して発行しましたとさ。

承元四年(1210)八月大十三日戊辰。來十六日鶴岳馬塲流鏑馬射手數輩被差之中。今日於馬塲被試。就堪否有用捨之定。先々無此儀。今年被始例云々。

読下し                     きた  じうろくにち  つるがおか  ばば   やぶさめ  いて すうやから  これ  なか  さ され
承元四年(1210)八月大十三日戊辰。來る十六日、鶴岳の馬塲の流鏑馬の射手數輩、之の中を差被、

きょう  ばば  をい  ためされ  たんぴ   つ   ようしゃの さだ  あ
今日馬塲に於て試被、堪否に就き用捨之定め有り。

さきざき こ  ぎ な     ことし れい  はじ  らる    うんぬん
先々此の儀無し@。今年例を始め被ると云々。

参考@先々此の儀無しは、先例のないことを新たに始める事に対し皮肉をこめている。良くないことが起こる前兆と考える。複線かもしれない。

現代語承元四年(1210)八月大十三日戊辰。今度の十六日は、鶴岡八幡宮馬場の流鏑馬の射手の連中の中から指名して、今日馬場で試射を行いました。上手いか下手かで選考するように決めました。今まではこんなことはありませんでしたが、今年から新たな例を始めましたとさ。

承元四年(1210)八月大十五日庚午。リ。鶴岳放生會。將軍家無御參宮。相州爲奉幣御使令參給。

読下し                     はれ つるがおかほうじょうえ しょうぐんけ ごさんぐうな     そうしゅう ほうへい  おんし  な   さん  せし  たま
承元四年(1210)八月大十五日庚午。リ。鶴岳放生會。將軍家御參宮無し。相州、奉幣の御使と爲し參じ令め給ふ。

現代語承元四年(1210)八月大十五日庚午。晴れです。鶴岡八幡宮の放生会です。将軍実朝様のお参りはありません。相州義時様が御幣を捧げる代参をしました。

承元四年(1210)八月大十六日辛未。陰。相州亦令參宮給。 將軍家爲覽馬塲之儀。密々渡御棧敷〔被用女房輿〕。尼御臺所并御臺所同令出棧敷御。流鏑馬競馬事終。於廟庭相撲勝負有結搆之儀。相摸太郎侍岡部平六与犬武被召决之處。岡部雌伏。次廣瀬四郎。与鬼童丸〔西濱住人〕兩度召决之。遂無勝負。人以爲壯觀。

読下し                     くも    そうしゅうまたさんぐうせし たま
承元四年(1210)八月大十六日辛未。陰り。相州亦參宮令め給ふ。

しょうぐんけ ばば の ぎ  み   ため  みつみつ  さじき   とぎょ      〔 にょぼうこし  もち  らる  〕
將軍家馬塲之儀を覽ん爲、密々に棧敷へ渡御す。〔女房輿を用ひ被る〕

あまみだいどころなら  みだいどころおな   さじき  いでせし  たま
尼御臺所并びに御臺所同じく棧敷へ出令め御ふ。

やぶさめ  くらべうまことおわ   びょうてい をい  すまい  しょうぶ  けっこうの ぎ あ
流鏑馬、競馬事終り、廟庭に於て相撲の勝負を結搆之儀有り。

さがみのたろう さむらい おかべのへいろくと いぬたけ  めしけっせら  のところ  おかべしふく
相摸太郎が侍 岡部平六@与 犬武を召决被る之處、岡部雌伏す。

つぎ  ひろせのしろう  と きどうまる  〔 にしはま   じゅうにん 〕 りょうどこれ  めしけっ    つい  しょうぶな     ひともっ  そうかん  な
次に廣瀬四郎A与鬼童丸〔西濱Bの住人〕兩度之を召决す。遂に勝負無し。人以て壯觀と爲す。

参考@岡部平六は、駿河国志太郡。静岡県志太郡岡部町岡部の一族と思われる。
参考A廣瀬四郎は、廣瀬四郎助弘〔相州の侍〕で十八巻建永元年(1206)六月小廿一日条でも、相撲に出て勝っている。
参考B西濱は、
承元3年(1209)5月28日条で「飯島とも云う」とあるので、鎌倉市材木座六丁目と逗子市小坪を結ぶ国道134号線のトンネルに「飯島隧道」の名が残ることから、恐らく小坪漁村から見て西の浜の意であろうから、現光明寺前のあたりの材木座海岸を指すと思われる。

現代語承元四年(1210)八月大十六日辛未。曇りです。又も相州義時様の代参です。
将軍実朝様は馬場での儀式を見たいので、神様に内緒で見物席へ来ました〔神様にばれないように女の輿を使いました〕。尼御台所政子様と奥さんの坊門姫も同様に見物席へおいでです。
流鏑馬や競馬が終わって、前庭で相撲を取り結ぶ儀式がありました。相模太郎泰時様の家来の岡部平六と犬武を指名してとらせたところ、岡部が負けました。次に広瀬四郎と鬼童丸〔今の材木座の人〕は、途中水入りで二度も取り合いましたが、結局勝負がつきませんでした。皆その迫力に感激しました。

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