吾妻鏡入門第廿二巻

建保三年乙亥(1215)四月小

建保三年(1215)四月小一日庚寅。鶴岳宮備恒例御供。將軍家密々令參給。被用女房輿。忠季公氏許候御共云々。

読下し                    つるがおかこうこれ   ごく  そな    しょうぐんけみつみつ まい せし  たま    にょぼうごし  もち  らる
建保三年(1215)四月小一日庚寅。鶴岳宮恒例の御供に備へ、將軍家密々に參ら令め給ふ。女房輿を用い被る。

ただすえ きんうじばか   おんとも  そうら   うんぬん
忠季、公氏許りが御共に候うと云々。

現代語建保三年(1215)四月小一日庚寅。鶴岡八幡宮の恒例の朝のお供えにあわせて、将軍実朝様が内々にお出かけになられました。女物の輿を使いました。若狭忠季と宮内公氏だけがお供をしましたとさ。

建保三年(1215)四月小二日辛夘。令詣甘繩神宮并日吉別宮等給。以御還路之次。入御于安達右衛門尉景盛家云々。

読下し                    あまなわじんぐうなら     ひえ べつぐうら   もう  せし  たま
建保三年(1215)四月小二日辛夘。甘繩神宮@并びに日吉別宮A等を詣で令め給ふ。

ごかんろの ついで  もって   あだちのうえもんのじょうかげもり いえに い   たま   うんぬん
御還路之次を以て、安達右衛門尉景盛が家于入り御うと云々。

参考@甘繩神宮は、鎌倉市長谷1丁目1番に鎮座の甘縄神社
参考A日吉別宮は、不明。

現代語建保三年(1215)四月小二日辛卯。将軍実朝様は、甘縄神社と日吉神社別宮へお参りをしました。帰り道のついでに、安達右衛門尉景盛の屋敷へお入りになりましたとさ。

疑問景盛の屋敷は正月14日に焼けてるので、新築を見に入ったかのか?

建保三年(1215)四月小十八日丁未。在京御家人等洛中守護不法事。殊有其沙汰。就忠否可有賞罸之旨。今日被遣御書云々。親廣奉行之。

読下し                      ざいきょう ごけにんら らくちう しゅご  ふほう  こと  こと  そ    さた あ
建保三年(1215)四月小十八日丁未。在京御家人等洛中守護の不法の事、殊に其の沙汰有り。

ちうひ   つ  しょうばつあ  べ   のむね  きょう おんしょ  つか  さる    うんぬん  ちかひろこれ  ぶぎょう
忠否に就き賞罸有る可き之旨、今日御書を遣は被ると云々。親廣之を奉行す。

現代語建保三年(1215)四月小十八日丁未。京都駐在の御家人達が、宮中警備をさぼっていることについて、特にその決定がありました。真面目に勤務してるかそうでないかによって、賞罰を与えるようにと、今日命令書を出させました。源親広が担当です。

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