承久二年庚辰(1220)八月小
承久二年(1220)八月小六日癸亥。終日終夜雨降。子尅。中將實雅朝臣妻家〔右京兆女〕男子平産。驗者大進僧都寛喜。醫師頼經。陰陽道權助親職以下四人也。行百箇日泰山府君祭。今夜當九十六箇日云云。 |
読下し
しゅうじつしゅうや
あめふ ねのこく ちうじょうさねまさあそん
さいけ 〔うけいちょう め 〕
だんしへいさん
承久二年(1220)八月小六日癸亥。終日終夜
雨降る。子尅、中將實雅朝臣が妻家〔右京兆が女〕男子平産す。
げんざ
だいしんそうづかんき
くすし よりつね おんみょうどう ごんのすけちかもと いげ よにんなり ひゃっかにち たいさんふくんさい おこな
驗者@は大進僧都寛喜。醫師は頼經A。陰陽道は 權助親職 以下四人也。百箇日の泰山府君祭Bを行う。
こんや くじうろっかにち あた
うんぬん
今夜九十六箇日に當ると云云。
参考@驗者は、加持祈祷 (きとう) を行い、すぐれた功徳を引き出せる僧。
参考A醫師頼經は、丹波頼経。
現代語承久二年(1220)八月小六日癸亥。一日中一晩中雨が降ってます。夜中の十二時頃に、中将一条実雅さんの奥さん〔義時の娘〕が男の子を安産しました。祈祷師は大進僧都寛喜。医者は丹波頼経。陰陽師は権助安陪親職を始め四人です。百日がかりの泰山府君祭をしていて、今夜が九十六日目に当たるそうな。
説明A医師は和気と丹波の二家。医陰両道輩者従雖浴御恩不可号御家人。医陰両道の輩者、従い御恩に浴すと雖も御家人と号す不可。医師と陰陽師の二道の連中は、たとえ褒美に領地を与えられても御家人とは云ってはいけない。
説明B泰山府君祭は、安倍晴明が創始した祭事で月ごと季節ごとに行う定期のものと、命に関わる出産、病気の安癒を願う臨時のものがあるという。「泰山府君」とは、中国の名山である五岳のひとつ東嶽泰山から名前をとった道教の神である。陰陽道では、冥府の神、人間の生死を司る神として崇拝されていた。延命長寿や消災、死んだ人間を生き帰らすこともできたという。