寛喜二年庚寅(1230)七月大
寛喜二年(1230)七月大十一日庚子。二位家御月忌。於南小御堂。被修恒例法會。竹御所爲御聽聞渡御。 |
読下し にいけ
おんつきいみ みなみこみどう をい こうれい
ほうえ しゅうされ たけごしょ
ごちょうもん ためわた たま
寛喜二年(1230)七月大十一日庚子。二位家の御月忌。南小御堂に於て、恒例の法會を修被る。竹御所
御聽聞の爲渡り御う。
現代語寛喜二年(1230)七月大十一日庚子。二位家政子様の命日なので、勝長寿院内の南小御堂で何時もの法要をしました。竹御所は、お経を聞くため臨席しました。
寛喜二年(1230)七月大十五日甲辰。小雨。酉刻。駿河次郎妻室平産女子。驗者丹後律師。醫師良基朝臣。陰陽師新大夫泰宗。各有祿物〔生衣二領〕。 |
読下し
こさめ とりのこく するがのじろう さいしつ
じょし へいさん
寛喜二年(1230)七月大十五日甲辰。小雨。酉刻、駿河次郎が妻室女子を平産す。
げしゃ たんごりっし くすし よしもとあそん おんみょうじ
しんたいふやすむね おのおの ろくぶつあ 〔
すずし にりょう〕
驗者は丹後律師。醫師は良基朝臣。陰陽師は新大夫泰宗。 各 祿物有り。〔生衣@二領〕
参考@生衣は、すずし。生糸で織った絹織物。精練していないので張りがありごわごわしている。生絹せいけん。
現代語寛喜二年(1230)七月大十五日甲辰。小雨です。午前八時頃、駿河次郎三浦泰村の奥さんが女の子を安産しました。祈祷をしたのは丹後律師頼暁。医者は丹波良基さん。陰陽師は、新大夫安陪泰宗です。それぞれに褒美が出ました〔生糸の絹織物二着分〕。
寛喜二年(1230)七月大十六日乙巳。霜降。殆如冬天。 |
読下し
しもふ ほと ふゆ そら ごと
寛喜二年(1230)七月大十六日乙巳。霜降る。殆んど冬の天の如し。
現代語寛喜二年(1230)七月大十六日乙巳。霜が降りました。まるで冬空のようです。
寛喜二年(1230)七月大廿六日乙夘。リ。酉刻。去十五日誕生少兒〔駿河次郎息女〕卒去。 |
読下し はれ とりのこく
さんぬ じうごにち たんじょう しょうに 〔
するがのじろう そくじょ 〕 そっきょ
寛喜二年(1230)七月大廿六日乙夘。リ。酉刻、去る十五日
誕生の少兒〔駿河次郎が息女〕卒去す。
現代語寛喜二年(1230)七月大二十六日乙卯。晴れです。午後六時頃に先日の15日に生まれたばかりの子供〔駿河次郎三浦泰村の娘〕が死んでしまいました。