吾妻鏡入門第卅六巻

寛元二年辰(1244)五月大

寛元二年(1244)五月大五日甲辰。平新左衛門尉盛時自京都馳下。所持參去月廿九日除書也。新冠任右近衛少將。敍從上五位。又蒙將軍 宣旨給云々。盛時爲此事御使。去月廿二日令進發訖。

読下し                    へいしんさえもんのじょうもりとき きょうと よ   は   くだ    さんぬ つき にじうくにち  じしょ   じさん   ところなり
寛元二年(1244)五月大五日甲辰。 平新左衛門尉盛時 京都自り馳せ下る。去る月 廿九日の除書@を持參する所也。

しんかん うこのえのしょうしょう にん   じゅごいのじょう  じょ    またしょうぐん  せんじ  こうむ たま   うんぬん
新冠A右近衛少將に任じ、從五位上に敍す。又將軍の宣旨を蒙り給ふと云々。

もりとき こ  こと  おんし  ため  さんぬ つき にじうににち しんぱつせし  をは
盛時此の事の御使の爲、去る 月廿二日 進發令め訖んぬ。

参考@去る月廿九日の除書が、35巻では28日の宣下状になっている。
参考A新冠は、頼嗣で数えの七歳。

現代語寛元二年(1244)五月大五日甲辰。平新左衛門尉盛時が、京都から走って下って来ました。先月29日の人事異動の辞令を持ってきました。新しく元服した若者頼嗣さん7才に右近衛少将に任命され、従五位上を与えられました。また、征夷大将軍の宣言も受けましたとさ。平盛時はこの事のお使いとして先月22日出発したのでした。

寛元二年(1244)五月大十一日庚戌。於將軍御方有御酒宴。大殿入御。武州。北條左親衛等被候座。舞女〔祗光。今出河殿白拍子。年廿二〕施妙曲。大藏權少輔朝廣。能登前司光村。和泉前司行方。佐渡五郎左衛門尉基隆等答弁(弄)猿樂云々。

読下し                     しょうぐん  おんかた  をい  ごしゅえんあ     おおとの い  たま    ぶしゅう  ほうじょうさしんえいら ざ   こう  られ
寛元二年(1244)五月大十一日庚戌。將軍の御方に於て御酒宴有り。大殿@入り御う。武州、北條左親衛等座に候じ被る。

まいじょ 〔 ぎこう   いまでがわどの   しらびょうし   としにじうに 〕 みょうきょく ほどこ
舞女〔祗光。今出河殿Aが白拍子。年廿二〕妙曲を施す。

おおくらごんのしょうゆうともひろ のとのぜんじみつむら  いずのぜんじゆきかた  さどのごろうさえもんのじょうもとかたら さるがく もてあそ   うんぬん
 大藏權少輔朝廣、 能登前司光村、和泉前司行方B、佐渡五郎左衛門尉基隆等猿樂を弄ぶと云々。

参考@大殿は、前四代将軍頼経。頼嗣の父
参考A
今出河殿は、西園寺公経で、頼経の母方の祖父。
参考B和泉前司行方は、主計允藤原行政孫、山城判官二階堂行村息子。行政┬行光
                                 └行村─行方─行章

現代語寛元二年(1244)五月大十一日庚戌。将軍頼嗣7才のところで、酒宴がありました。前大納言家頼経様27才も来ました。武州経時・北条時頼も座に参加しました。踊り子さん〔祗光。今出川殿西園寺公経さんがスポンサーの舞女です〕が妙れいな曲を演じました。大蔵権少輔結城朝広・能登前司三浦光村・和泉前司二階堂行方・佐渡五郎左衛門尉後藤基隆たちは、滑稽な芸をやって遊びましたとさ。

寛元二年(1244)五月大十八日丁巳。酉剋。前大納言家并將軍有御不例。凡近日毎人惱乱。世号之三日病云々。

読下し                     とりのこく  さきのだいなごんけ なら   しんしょうぐんごふれい  およ  きんじつひとごと  のうらん
寛元二年(1244)五月大十八日丁巳。酉尅、前大納言家@并びに新將軍御不例。凡そ近日人毎に惱乱す。

よ これ みっかやまい  ごう    うんぬん
世之を三日病と号すと云々。

参考@前大納言家は、前四代将軍頼経。新将軍頼嗣の父

現代語寛元二年(1244)五月大十八日丁巳。午後6時頃、前大納言家頼経様それに新将軍頼嗣さまが病気です。だいたい最近誰もがかかる病気です。世間ではこれを三日病と云ってるそうな。

寛元二年(1244)五月大廿日己未。依將軍家御不例。被行御祈等云々。

読下し                   しょうぐんけ   ごふれい  よっ    おいのりら  おこなはれ   うんぬん
寛元二年(1244)五月大廿日己未。將軍家の御不例に依て、御祈等を行被ると云々。

現代語寛元二年(1244)五月大二十日己未。将軍家が御病気なので、お祈りなどを行いましたとさ。

寛元二年(1244)五月大廿一日庚申。兩御所御不例事。聊有御少減云々。

読下し                     りょうごしょ ごふれい  こと   いささ ごしょうげん  け あ     うんぬん
寛元二年(1244)五月大廿一日庚申。兩御所御不例の事、聊か御少減の氣有りと云々。

現代語寛元二年(1244)五月大二十一日庚申。前大納言家頼経と頼嗣お二方の病気には、多少良くなりつつあるそうな。

寛元二年(1244)五月大廿六日乙丑。若君御前御不例之間。爲三河前司教隆奉行。被行御祈等。八座鬼氣祭。四方四角祭等云々。其上被修如法泰山府君祭。廣リ奉仕之。

読下し                     わかぎみごぜん ごふれいのあいだ  みかわのぜんじのりたか ぶぎょう  な    おいのりら  おこなはれ

寛元二年(1244)五月大廿六日乙丑。若君御前 御不例之間、 三河前司教隆 奉行と爲し、御祈等を行被る。

はちざ   ききさい    しほうしかくさいら   うんぬん  そ   うえ  にょほうたいさんふくんさい しゅうされ   ひろもとこれ  ほうし

八座の鬼氣祭@、四方四角祭等と云々。其の上、如法泰山府君祭を修被る。廣リ之をA奉仕す。

現代語寛元二年(1244)五月大二十六日乙丑。前大納言家頼経様の次男が病気なので、三河前司清原教隆が指揮担当してお祈りを行いました。八人の鬼気祭を七人それと四方向(東・南・西・北)・四つの角(北東・南東・西南・西北)で祭です。そればかりか、規則通りきちんと泰山府君祭を行いました。広晴が勤めました。

参考@八座の鬼氣祭は、35巻では七座となっている。
参考A
如法泰山府君祭を修被る。廣リ之をは、35巻では広資になっている。

寛元二年(1244)五月大廿九日戊辰。爲若君御祈鶴岡并二所三嶋社等。各被進神馬一疋。又於若宮被轉讀大般若經。其上被修十壇炎魔天供。
 一壇 大藏卿僧正
 一壇 宮内卿法印
 一壇 大貳法印
 一壇 宰相法印縁快
 一壇 三位法印頼兼
 一壇 播磨僧都嚴瑜
 一壇 弁法印審範
 一壇 宮内卿僧都
 一壇 大納言僧都
 一壇 三位僧都

読下し                     わかぎみ おいのり ため つるがおかなら  にしょ みしましゃら おのおの しんめいっぴき  すす  られ
寛元二年(1244)五月大廿九日戊辰。若君の御祈の爲、鶴岡并びに二所三嶋社等、各 神馬一疋を進め被る。

また  わかみや  をい だいはんにゃきょう てんどくされ    そ  うえ じうだん  えんまてんぐ  しゅうされ
又、若宮に於て大般若經を 轉讀被る。其の上十壇の炎魔天供を修被る。

  いちだん   おおくらきょうそうじょう
 一壇  大藏卿僧正

  いちだん    くないきょうほういん
 一壇  宮内卿法印

  いちだん   だいにほういん
 一壇  大貳法印

  いちだん    さいしょうほういんえんかい
 一壇  宰相法印縁快

  いちだん   さんみほういんらいけん
 一壇  三位法印頼兼

  いちだん    はりまそうづげんかい
 一壇  播磨僧都嚴瑜

  いちだん   べんおそうづしんはん
 一壇  弁法印審範

  いちだん    くないきょうそうづ
 一壇  宮内卿僧都

  いちだん    だいなごんそうづ
 一壇  大納言僧都

  いちだん    さんみそうづ
 一壇  三位僧都

現代語寛元二年(1244)五月大二十九日戊辰。若君のお祈りのため、鶴岡八幡宮それに箱根・伊豆・三島社に、それぞれ馬を一頭づつ送って奉納しました。又、鶴岡八幡宮では、大般若経を摺り読みしました。そればかりか十壇の閻魔様への供養を行いました。
 一壇は、大蔵卿僧正良信。
 一壇は、宮内卿法印。
 一壇は、大貮法印円仙。
 一壇は、宰相法印縁快。
 一壇は、三位法印頼兼。
 一壇は、播磨僧都厳懐。
 一壇は、弁僧都審範。
 一壇は、宮内卿僧都承快。
 一壇は、大納言僧都隆弁。
 一壇は、三位僧都。

寛元二年(1244)五月大卅日己巳。若君今年令當太一定分之厄給之由。助法印珎譽令申之間。今日被行代厄御祭。廣資奉仕之云々。

読下し                    ことし  たいちじょうぶん  やく  あた  せし  たま  のよし  すけのほういんちんよ もうせし  のあいだ

寛元二年(1244)五月大卅日己巳。今年は太一定分の厄に當ら令め給ふ之由、 助法印珎譽 申令む之間、

きょう だいやくおんさい  おこなはれ    ひろすけ これ  ほうし    うんぬん

今日 代厄御祭を行被る。廣資 之を奉仕すと云々。

現代語寛元二年(1244)五月大三十日己巳。今年は3歳9歳15歳の厄である太一定分の3歳の厄に当たっているからです。厄払いのお祈りをした方が良いと、助法印珍与が上申したからです。病気の厄を避けるための代厄祭を勤めました。広資がこれを勤めました。

六月へ

吾妻鏡入門第卅六巻

inserted by FC2 system