吾妻鏡入門第卅六巻

寛元三年乙巳(1245)十二月小

寛元三年(1245)十二月小十三日甲戌。子刻地震。

読下し                       ねのこくぢしん
寛元三年(1245)十二月小十三日甲戌。子刻地震。

現代語寛元三年(1245)十二月小十三日甲戌。夜中の0時頃に地震です。

寛元三年(1245)十二月小十六日丁丑。鷹狩事。永被停止。違犯輩者。可有後悔。但於神社供祭物者非制限。又六齋殺生事。重被仰諸國。但於神社有例之供祭者。非制限之由。被定之云々。

読下し                      たかがり  こと  なが  ちょうじさる    いはん やからは  こうかい あ  べ
寛元三年(1245)十二月小十六日丁丑。鷹狩の事、永く停止被る。違犯の輩者、後悔有る可し。

ただ  じんじゃ  ぐさいもの  をい  は せい  かぎ   あらず
但し神社の供祭物に於て者制の限りに非。

また  ろくさい せっしょう こと  かさ    しょこく  おお  らる
又、六齋@殺生の事、重ねて諸國へ仰せ被る。

 ただ  じんじゃれいあ   の ぐさい  をい  は せい  かぎ   あらざるのよし  これ  さだ  らる    うんぬん
但し神社例有る之供祭に於て者、制の限りに非之由、之を定め被ると云々。

参考@六齋は、仏語で、特に身を慎み持戒清浄であるべき日と定められた六か日のことで、月の8,14,15,23,29,30日を云うとのこと。

現代語寛元三年(1245)十二月小十六日丁丑。鷹狩については、永代禁止とする。違反したものは、処罰されて後悔することになるだろう。但し、神社への奉納行事としてのお供物については制約はしない。又、月の内精進潔斎すべき六斉日の殺生も禁止すると、追加して諸国へ命令を出しました。但し、神社で今まで例の有ったお供物については、制約はしませんと、お決めになられましたとさ。

寛元三年(1245)十二月小十七日戊寅。籠置悪黨所々者。可被収公之由。被仰出于諸國守護人云々。

読下し                        あくとう   こ   お   しょしょは  しゅうこうさる  べ   のよし  しょこくしゅごにんに おお  いださる    うんぬん
寛元三年(1245)十二月小十七日戊寅。悪黨を籠め置く所々者、収公被る可き之由、諸國守護人于仰せ出被ると云々。

現代語寛元三年(1245)十二月小十七日戊寅。政道に背く悪党を隠し置く領地は、没収するようにと、諸国の守護人に命令しましたとさ。

寛元三年(1245)十二月小廿日辛巳。午刻大地震。

読下し                     うまのこくおおぢしん
寛元三年(1245)十二月小廿日辛巳。午刻大地震。

現代語寛元三年(1245)十二月小二十日辛巳。昼の12時頃に大地震です。

寛元三年(1245)十二月小廿四日乙酉。天リ。明年正朔日蝕事。有其沙汰。今日。被始行御祈等。但馬前司奉行之。
入道大納言家御祈
 一字金輪護摩〔卿僧正快雅〕
 藥師護摩〔師僧正〕
 日曜祭〔リ賢〕
將軍家御祈
 北斗護摩〔鶴岡別當法務定親〕
 日曜〔前縫殿頭文元〕
若君御前御祈
 月曜供〔助法印珎譽〕
 羅喉星祭〔廣資〕

読下し                       そらはれ みょうねん しょうさく にっしょく こと  そ    さた あ
寛元三年(1245)十二月小廿四日乙酉。天リ。 明年 正朔 日蝕の事、其の沙汰有り。

きょう    おいのりら  しぎょうさる    たじまのぜんじこれ  ぶぎょう
今日、御祈等を始行被る。但馬前司之を奉行す。

にゅうどうだいなごんけ  おいのり
入道大納言家の御祈

   いちじきんりん ごま  〔きょうのうそうじょうかいが〕
 一字金輪@護摩〔卿僧正快雅〕

   やくしごま  〔きょうのうそうじょう〕
 藥師護摩〔師僧正〕

  にちようさい 〔はるかた〕
 日曜祭〔リ賢〕

しょうぐんけ  おいのり
將軍家の御祈

   ほくとごま  〔つるがおかべっとうほうむじょうしん〕
 北斗護摩〔鶴岡別當法務定親〕

  にちよう 〔さきのぬいどののとうふみもと〕
 日曜〔前縫殿頭文元〕

わかぎみごぜん  おいのり
若君御前の御祈

  げつようぐ 〔すけのほういんちんよ〕
 月曜供〔助法印珎譽〕

  らごうらしょう さい 〔ひろすけ〕
 羅喉星A〔廣資〕

参考@一字金輪が、密教で大日如来が最高の境地に入った時に説いた真言(ぼろん)の一字を人格化した仏。また、一字金輪仏を本尊とする修法を一字金輪法という。一字金輪仏頂。ウィキペディアから
参考A
羅喉星は、九曜星の1番目。本尊は大日如来。方位は南東。胎蔵界曼荼羅では南。この年に当たるときは大凶。他行すれば災難有り。又、損失病気口説事あり。慎むべし。

現代語寛元三年(1245)十二月小二十四日乙酉。空は晴です。来年正月一日の日食について、裁決がありました。今日、その災難除けのお祈りを始めました。但馬前司藤原定員が指揮担当です。
 入道大納言家頼経様の分のお祈り
  一字金輪の護摩炊きは、卿僧正快雅。薬師如来の護摩炊きは、師僧正。日曜祭は、安陪晴賢。
 将軍家頼嗣様の分のお祈り
  北斗星妙見菩薩の護摩炊きは、鶴岡八幡宮筆頭法務定親。日曜祭は、前縫殿頭安陪文元。
 弟若君の分のお祈り
  月曜の供養は、助法印珍与。羅喉星の祭りは、安陪広資。

寛元三年(1245)十二月小廿五日丙戌。天リ。松浦執行源授被召籠其身。上野入道日阿所領(預)守護也。是与鶴田五郎源馴。就肥前國松浦庄西郷内佐里村。壹岐泊牛牧等相論事。授非據之餘。以馴令惡口問註奉行人越前兵庫助政宗之由。搆申無實之間。被尋證人之處。大田太郎兵衛尉康宗。志村太郎入道寂圓進誓文。不令惡口政宗之由也。仍於馴領所者。任當知行。不可有相違之旨。被仰出云々。中山城前司盛時奉行之。

読下し                       そらはれ  まつらしぎょう みなもとのさずく  そ   み   めしこめらる   こうづけにゅうどうにちあ  あず    しゅご   ところなり

寛元三年(1245)十二月小廿五日丙戌。天リ。 松浦執行 源授、其の身を召籠被る。上野入道日阿、預かり守護する所也。

これ つるたのごろうみなもとのなずく と ひぜんのくにまつらのしょう さいごうない さりむら  いき とまりのうしまき ら  そうろん  こと  つ   さずく  ひきょのあま
是、 鶴田五郎源馴 与、 肥前國松浦庄 西郷内佐里村@、壹岐 泊牛牧 等の相論の事に就き、授、非據之餘りに、

なずく もっ  もんちうぶぎょうにん えちぜんひょうごのすけまさむね あっこうせし  のよし   むじつ  かま  もう  のあいだ しょうにん  たず  らる  のところ
馴を以て 問註奉行人 越前兵庫助政宗 を惡口令む之由、無實を搆へ申す之間、證人を尋ね被る之處、

おおたのたろうひょえのじょうやすむね しむらのたろうにゅうどうじゃくえん しょうもん しん    まさむね あっこうせし  ざるのよしなり
 大田太郎兵衛尉康宗、 志村太郎入道寂圓 誓文を進ず。政宗を惡口令め不之由也。

よっ  なずく りょうしょ  をい  は   とうちぎょう  まか      そうい あ   べからずのむね  おお  いださる   うんぬん
仍て馴が領所に於て者、當知行に任せて、相違有る不可之旨、仰せ出被ると云々。

なかやましろぜんじもりとこき これ  ぶぎょう
中山城前司盛時 之を奉行す。

参考@佐里村は、佐賀県唐津市相知町佐里。

現代語寛元三年(1245)十二月小二十五日丙戌。空は晴です。松浦事務官の源授は、監禁されました。上野入道日阿結城朝光が、預って監視しております。
この理由は、鶴田五郎源馴と肥前国松浦庄西郷内佐里村・壱岐の泊牛牧等の裁判沙汰について、源授は負ける事が分かっていたので、源馴が裁判所担当官越前兵庫政宗を罵倒していると、うそを主張したので、証人を捜したところ、太田太郎兵衛尉康宗・志村太郎入道寂円が誓書を差し出しました。
政宗を罵倒していないとの事です。
そこで、源馴の領地については、今までのとおり管理するように、命令したそうな。山城前司中原盛時がこれを指揮担当します。

解説A源氏性で一文字名前は、渡辺党か?出身の渡辺の津は、大阪府大阪市北区中之島3丁目の渡辺橋付近。

吾妻鏡入門第卅六巻

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