寛元四年丙午(1246)十一月大
寛元四年(1246)十一月大三日戊午。京都使者參着。去月廿四日御禊行幸無爲被遂之由申之。今度自閑院殿出御。無先規云々。 |
読下し
きょうと ししゃさんちゃく さんぬ つきにじうよっか ごけい ぎょうこう ぶい とげらる のよしこれ
もう
寛元四年(1246)十一月大三日戊午。京都の使者參着す。去る月
廿四日 御禊@の行幸無爲に遂被る之由之を申す。
このたび かんいんどの よ しゅつご
せんき な うんぬん
今度は閑院殿A自り出御。先規無しと云々。
現代語寛元四年(1246)十一月大三日戊午。京都からの使いが到着しました。先月24日に後深草天皇の移動が無事に終わりましたと報告しました。今回は、閑院殿里内裏から出かけられたそうで、先例が無い事でしたとさ。
参考@御禊は、後深草天皇。参考後嵯峨┬後深草
└亀山
参考A閑院殿は、左京二条大路南、西洞院大路西に(現在の中京区古城町一帯)にあっ た藤原冬嗣(795〜826)の別邸で、 藤原氏の邸宅 ... 後白河法皇の院宣により三種の
神器のないまま閑院殿において四宮(後鳥羽天王)が即位した。
寛元四年(1246)十一月大九日甲子。天リ。今曉。熒惑犯房的星。同太白犯建閇星云々。 |
読下し そらはれ こんぎょう けいこく
ぼうてきせい おか おな たいはく
けんゆうせい おか うんぬん
寛元四年(1246)十一月大九日甲子。天リ。今曉、熒惑
房的星を犯す。同じく太白 建閇星を犯すと云々。
現代語寛元四年(1246)十一月大九日甲子。空は晴です。今朝夜明け前に、熒惑星火星が房宿的星さそり座オネガ1・2星の軌道を犯しました。又同様に太白星金星が建閇星さそり座ニュー2星を犯しましたとさ。
参考HPは、湯浅吉美著坂東武者は惑星の変をおそれたかー「吾妻鏡」に見える惑星記事の検証ー
寛元四年(1246)十一月大十日乙丑。將軍家又有御不例事。諸人周章云々。即被始内外御祈等云々。 |
読下し
しょうぐんけまた ごふれい ことあ しょにんしゅうしょう うんぬん
すなは ないげ おいのりら はじ
らる うんぬん
寛元四年(1246)十一月大十日乙丑。將軍家又、御不例の事有り。諸人周章すと云々。即ち内外の御祈等を始め被ると云々。
現代語寛元四年(1246)十一月大十日乙丑。将軍家頼嗣様は、病気になりました。皆さんはあわてましたとさ。すぐに仏教や陰陽道のお祈りを始めましたとさ。
寛元四年(1246)十一月大十四日己巳。御濱出犬追物事。今年者可延引之由被仰出。御不例猶不快之故也。 |
読下し おんはまいで いぬおうもの こと ことしは えんいんすべ
のよしおお
いださる ごふれい なおふかいのゆえなり
寛元四年(1246)十一月大十四日己巳。御濱出、犬追物の事、今年者延引可き之由仰せ出被る。御不例猶不快之故也。
現代語寛元四年(1246)十一月大十四日己巳。由比ガ浜へ出て、犬追物をするのは、今年は延期すると言い出しました。病気が良くならないからです。
寛元四年(1246)十一月大廿七日壬午。寅刻大地震。 |
読下し
とらのこく おおぢしん
寛元四年(1246)十一月大廿七日壬午。
寅刻 大地震。
現代語寛元四年(1246)十一月大二十七日壬午。午前4時頃に大地震です。