吾妻鏡入門第廿八巻

寛喜三年辛卯(1231)十一月

寛喜三年(1231)十一月小六日戊子。辰刻。大流星亘天。自東山入西際。人怪之。

読下し                     たつのこく だいりゅうせい てん わた   ひがし やまよ   にし  きわ  い     ひとこれ  あやし
寛喜三年(1231)十一月小六日戊子。辰刻。 大流星 天を亘る。東の山自り西の際に入る。人之を怪む。

現代語寛喜三年(1231)十一月小六日戊子。午前八時頃、大流星が空を横切りました。東の山から西のはてへ入りました。皆、不安を感じました。

寛喜三年(1231)十一月小九日辛夘。霽。御臺所御祈。於御所被行千度御秡。泰貞。リ賢。長重。リ幸。重宗。宣賢。廣資。經昌。リ秀。文親等奉仕之。陪膳伊賀助仲能。民部少輔親實〔布衣也〕同手長六位〔布衣〕十人。奉行周防前司親實云々。

読下し                     はれ みだいどころ  おいの     ごしょ   をい  せんど  おんはら   おこなはれ
寛喜三年(1231)十一月小九日辛夘。霽。御臺所の御祈り。御所に於て千度の御秡へを行被る。

やすさだ はるかた ながしげ はるゆき  しげむね のぶかた ひろすけ つねまさ はるひで  ふみちから kれ  ほうし
泰貞、リ賢、長重、リ幸、重宗、宣賢、廣資、經昌、リ秀、文親等之を奉仕す。

ばいぜん   いがのすけなかよし みんぶしょうゆうちかざね 〔 ほい なり〕   おな    てなが   ろくい  〔 ほい 〕 じうにん  ぶぎょう すおうのぜんじちかざね  うんぬん
陪膳@は、伊賀助仲能、民部少輔親實〔布衣也〕。同じく手長Aは六位〔布衣〕十人。奉行は周防前司親實と云々。

参考@陪膳は、貴人の食膳に侍して給仕をつとめること。また、その人。
参考A
手長は、運搬人。

現代語寛喜三年(1231)十一月小九日辛卯。晴れました。竹御所の祈りとして、御所で千回のお祓いを行いました。安陪泰貞・安陪晴賢・安陪長重・安陪晴幸・安陪重宗・安陪宣賢・安陪広資・安陪経昌・安陪晴秀・安陪文親などが勤めました。手伝いは、伊賀助仲能・民部少輔三条親実〔狩衣です〕。運搬人は六位〔狩衣〕十人。指揮担当は周防前司中原親実だそうな。

寛喜三年(1231)十一月小十日壬辰。リ。將軍家御祈。千度御秡於御所被行之。人數同昨日。但文親。リ秀。依座次相論。被除之云々。

読下し                     はれ  しょうぐんけ  おいの    せんど  おんはら    ごしょ   をい    これ  おこなはれ  にんずうさくじつ  おな
寛喜三年(1231)十一月小十日壬辰。リ。將軍家の御祈り。千度の御秡へ。御所に於て、之を行被る。人數昨日に同じ。

ただ ふみちか はるひで  ざじ   そうろん  よっ    これ  のぞかれ    うんぬん
但し文親、リ秀、座次@の相論に依て、之を除被ると云々。

参考@座次は、席次。

現代語寛喜三年(1231)十一月小十日壬辰。晴れです。将軍頼経様の祈りとして千回のお祓いを御所で行いました。人数は昨日と同じです。但し、安陪文親と安陪晴秀は席順で言い争ったので、外されましたとさ。

寛喜三年(1231)十一月小十七日己亥。今曉寅剋。海邊鳴動。其響如雷音。

読下し                       こんぎょう とらのこく かいへん めいどう   そ   ひび かみなり おと  ごと
寛喜三年(1231)十一月小十七日己亥。今曉 寅剋、海邊 鳴動す。其の響き 雷 の音の如し。

現代語寛喜三年(1231)十一月小十七日己亥。今朝午前四時頃に海鳴りがしました。その響きは雷のようでした。

寛喜三年(1231)十一月小十八日庚子。將軍家御願五大尊像被奉造始之。師員。光西。康連等爲奉行云々。」今日。右大將家法花堂上棟也。此事被付寺家云々。

読下し                       しょうぐんけ ごがん  ごだいそんぞう  これ  つく  はじ たつまつらる   もろかず  こうさい やすつらら ぶぎょう  な     うんぬん
寛喜三年(1231)十一月小十八日庚子。將軍家御願の五大尊像、之を造り始め奉 被る。師員、光西、康連等奉行を爲すと云々。」

きょう    うだいしょうけ  ほけどう   じょうとうなり  かく  こと じけ   ふ   らる    うんぬん
今日、右大將家法花堂の上棟也。此の事寺家に付せ被ると云々。

現代語寛喜三年(1231)十一月小十八日庚子。将軍頼経様の祈願の五大明王像を、作り始めました。中原師員・伊賀光西光宗・太田康連達が指揮担当だそうな。」今日、火事で焼けた頼朝様の御廟法華堂の棟上げ式です。これらは寺関係者に任せているそうな。

寛喜三年(1231)十一月小廿四日丙午。辰剋。鶴岳内三嶋社壇鳴動。仍有御占。依神事穢氣不淨也。可被愼御病事之由。占申之云々。

読下し                       たつのこく つるがおかない みしましゃだんめいどう    よっ  おんうらあ     しんじ えき   ふじょう  よっ  なり
寛喜三年(1231)十一月小廿四日丙午。辰剋。 鶴岳内 の三嶋社壇鳴動す。仍て御占有り。神事穢氣の不淨に依て也。

おんやまいごと つつし らるべ  のよし  これ  うらな もう    うんぬん
御病事を愼ま被可き之由、之を占い申すと云々。

現代語寛喜三年(1231)十一月小二十四日丙午。午前八時頃、鶴岡八幡宮境内の三島神社が揺れました。それなので占いをさせました。神様が穢れを蒙ってるので、病気に気を付けるようにとの、占い結果だそうな。

寛喜三年(1231)十一月小廿五日丁未。云日來天變。云三嶋社鳴動。有驚御沙汰。御祈等始行之。

読下し                       ひごろ  てんぺん  い     みしましゃ  めいどう  い    おどろ   おんさた  あ     おいの  ら これ  しぎょう
寛喜三年(1231)十一月小廿五日丁未。日來の天變と云ひ、三嶋社の鳴動と云ひ、驚きの御沙汰有り。御祈り等之を始行す。

現代語寛喜三年(1231)十一月小二十五日丁未。近頃の空の異常や、三島神社の揺れなど、驚きの恐れがあると命じたので、お祈りらを始めました。

寛喜三年(1231)十一月小廿七日己酉。属星祭被行之云々。泰貞朝臣奉仕。

読下し                       ぞくしょうさい  これ おこなはれ うんぬん  やすさだあそん ほうし
寛喜三年(1231)十一月小廿七日己酉。属星@祭、之を行被ると云々。泰貞朝臣奉仕す。

参考@属星は、陰陽道で生年の干支によって、運命を支配する北斗七星の各星にあてる。

現代語寛喜三年(1231)十一月小二十七日己酉。属星祭を行いましたとさ。泰貞さんが勤めました。

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