吾妻鏡入門第廿八巻

貞永元年壬辰(1232)閏九月小

貞永元年(1232)閏九月小一日戊申。畿内西海并近國相論事。共以爲國領者。可爲國司成敗。於庄園者。可爲本家領家沙汰之由。被定云々。

読下し                     きないさいかいなら    きんごく  そうろん  こと  とも  もっ  こくりょうたらば   こくし  せいばい  な   べ
貞永元年(1232)閏九月小一日戊申。畿内西海并びに近國の相論の事、共に以て國領爲者、國司の成敗と爲す可し。

しょうえん をい  は   ほんけ りょうけ   さた たるべ   のよし  さだ  らる    うんぬん
庄園に於て者、本家領家の沙汰爲可き之由、定め被ると云々。

現代語貞永元年(1232)閏九月小一日戊申。関西や九州それに関東周辺での領地訴訟については、どこであろうと国衙領は、国司が裁決をするように、荘園の場合は、最上級荘園権利者の本家や領家が裁決するように、お決めになりましたとさ。

貞永元年(1232)閏九月小四日辛亥。霽。寅刻彗氣見乙方。指庚方長二尺。廣八寸。色白赤。此變。白氣白虹彗星未决之。依本星不分明也。〃〔和〕以降無本星彗星出現之例及度々云々。

読下し                     はれ とらのこく  すいき きのとかた あらは  かのえかた さ  なが  にしゃく  ひろ  はっすん  いろしろ  あか
貞永元年(1232)閏九月小四日辛亥。霽。寅刻、彗氣 乙方に見れ、庚方を指し長さ二尺。廣さ八寸。色白く赤し。

かく  へん  はっき  はっこう  すいせい  いま  これ  けっ     ほんぼし ぶんめいせざる よっ  なり
此の變、白氣@・白虹A・彗星B、未だ之を决さず。本星 分明不に依て也。

   〔は〕 いこう ほんぼしな  すいせい しゅつげんのれい たびたび およ   うんぬん
〃〔和〕C以降本星無く彗星 出現之例、度々に及ぶと云々。

参考@白氣は、吉。
参考A
白虹は、兵乱。
参考B
彗星は、凶。
参考C〃〔和〕は、年号らしいが不明。

現代語貞永元年(1232)閏九月小四日辛亥。晴れました。午前四時頃、縁起の悪い彗星が東南東に現れ、西南西へ尾を伸ばし長さ60cm、広さ24cm色は白くて赤い。この異変は、縁起の吉な白気なのか、兵乱の前兆の白虹なのか、縁起が凶の彗星なのか未だ決まっておりません。これが属する本星がどれか分からないからです。ある時以降、本星がない彗星の出現が何度もあるそうな。

貞永元年(1232)閏九月小五日壬子。リ。周防前司親實奉行。召聚司天輩。昨夜天變令治定何變哉之由。依被尋仰也。リ賢。リ継。リ幸。宣賢等着座于御廐侍上。將軍家御坐簾中。被聞食之歟。面々申詞區區出。不一决云々。

読下し                     はれ  すおうのぜんじちかざねぶぎょう      してん  やから めしあつ
貞永元年(1232)閏九月小五日壬子。リ。周防前司親實奉行として、司天の輩を召聚め、

さくや   てんぺん なにへん ぢじょうせし    やのよし  たず おお  らる    よっ  なり
昨夜の天變を何變か治定令めん哉之由、尋ね仰せ被るに依て也。

はるかた  はるつぐ はるゆき のぶかたらみんまや さむらい ほとりに ちゃくざ   しょうぐんけれんちう  おは    これ  き      め さる  か
リ賢、リ継、リ幸、宣賢等御廐の侍の 上于着座す。將軍家簾中に御坐す。之を聞こし食被る歟。

めんめん  もう  ことば   くく   い     いっけつせず  うんぬん
面々に申す詞、區區に出で、一决不と云々。

現代語貞永元年(1232)閏九月小五日癸丑。晴れです。周防前司中原親実が担当として、天文方の連中を呼び集め、昨夜の天の異変をどれかに決めるため、質問をしました。安陪晴賢・安陪晴継・安陪晴幸・安陪宣賢などが、厩舎の侍だまりの上座に座りました。将軍頼経様は御簾の中におります。この話をお聞きになるのでしょう。それぞれに云う事がまちまちで決まりませんでしたとさ。

貞永元年(1232)閏九月小六日癸丑。リ。夜雨降。爲後藤大夫判官基綱奉行。可被行變氣御祈祷之由。有其沙汰云々。

読下し                     はれ  よ   あめふ
貞永元年(1232)閏九月小六日癸丑。リ。夜に雨降る。

ごとうのたいふほうがんもとつな ぶぎょう  な     へんき   ごきとう   おこなはれ べ   のよし  そ   さた あ    うんぬん
後藤大夫判官基綱 奉行と爲し、變氣の御祈祷を行被る可き之由、其の沙汰有りと云々。

現代語貞永元年(1232)閏九月小六日癸丑。晴れです。夜になって雨が降りました。五位の検非違使後藤基綱が担当として、天の異変の祈祷を行うようにと、命令が出ましたとさ。

貞永元年(1232)閏九月小八日乙夘。此兩三日。或陰或雨降。今曉適見天。彗星猶出現。増光芒氣。長二丈。廣一尺餘。指同方逆行一許丈。南行四尺。去東山五尺許也。今日。相州。武州參御所給。接津守。駿河前司。隱岐入道等祗候。變氣事。於關東有相論。未决之旨。注面々申詞。可被尋京都之旨。及評議。爲齋藤兵衛入道淨圓奉行。被召陰陽師。各參進。親職。リ継。リ幸等白虹之由申。リ賢白氣之旨申。泰貞。リ茂彗星之由申。宣賢蚩尤籏之由申。互雖有相論之旨。不分明之間。被尋京都事。暫被閣云々。次爲後藤大夫判官奉行。可被行御祈祷之旨議定訖。(弾)正忠。季氏執筆。注僧陰陽師等名字云々。

読下し                      こ  りょうみっか   ある    くも  ある    あめふ    こんぎょう たまた せいてん み    すいせい なおしゅつげん
貞永元年(1232)閏九月小八日乙夘。此の兩三日、或ひは陰り或ひは雨降る。今曉 適ま 天を見ゆ。彗星 猶出現す。

こうぼう  け ま     なが  にじょう  ひろ  いっしゃくよ  おな  ほう  さ    ぎゃっこう      いちばかりじょう
光芒の氣増す。長さ二丈。廣さ一尺餘。同じ方を指して逆行すること一許丈。

なんこう      よんしゃく  ひがしやま さ       ごしゃくばか なり
南行すること四尺。東山を去ること五尺許り也。

きょう   そうしゅう  ぶしゅうごしょ  まい    たま   せっつのかみ するがのぜんじ  おきのにゅうどうら しこう
今日、相州、武州御所へ參られ給ふ。接津守、駿河前司、隱岐入道等祗候す。

へんけ  こと  かんとう  をい  そうろんあ       いま  けっ    のむね  めんめん  もう  ことば ちう    きょうと  たず  らる  べ   のむね  ひょうぎ  およ
變氣の事、關東に於て相論有りて、未だ决せず之旨、面々に申す詞を注し、京都へ尋ね被る可き之旨、評議に及ぶ。

さいとうひょうえにゅうどうじょうえん ぶぎょう  な    おんみゅうじ  め さる
 齋藤兵衛入道淨圓を奉行と爲し、陰陽師を召被る。

おのおの さんしん    ちかもと  はるつぐ  はるゆきら はっこうのよし  もう     はるかた はっけのむね  もう
 各 參進す。親職、リ継、リ幸等白虹之由を申し、リ賢白氣之旨を申す。

やすさだ はるしげ すいせいのよし  もう    のぶかた しういき のよし  もう
泰貞、リ茂 彗星之由を申し、宣賢蚩尤籏@之由を申す。

たが    そうろん のむねあ   いへど   ぶんめい   ざるのあいだ  きょうと  たず  らる  こと  しばら さしおかれ  うんぬん
互いに相論之旨有ると雖も、分明なら不之間、京都へ尋ね被る事、暫く閣被ると云々。

つぎ  ごとうたいふほうがんぶぎょう   な      ごきとう  おこなはれ べ   のむねぎじょう をはんぬ
次に後藤大夫判官奉行と爲し、御祈祷を行被る可き之旨議定し訖。

だんじょうのちゅうすえうじしゅうひつ そうおんみょうじら  みょうじ  ちゅう    うんぬん
 弾正忠 季氏執筆し僧陰陽師等の名字を注すと云々。

参考@蚩尤籏は、兵乱、内乱の兆候。

現代語貞永元年(1232)閏九月小八日乙卯。この2,3日曇ったり雨が降ったりしてます。今日の夜明けにたまたま晴れましたので、彗星が又も出現しています。光の尾は明るさを増やしてます。長さは6m、広さは30c以上で同じ方向を指し、反対へ動くごと3m程です。南への移動が120cm、東山から1.5m程離れました。

今日、時房さん・泰時さんが御所へ来られました。摂津守中原師員・駿河前司三浦義村・隱岐入道行西二階堂行村が参加してきました。天の異変について、関東では言い争いとなり未だに決定していない事を、それぞれの言い分を書き出して、京都へ聞いてみるように話が決まりました。斉藤兵衛入道浄円を担当として陰陽師を呼びつけましたので、それぞれやって来ました。安陪親職・安陪晴継・安陪晴幸達は、兵乱の前兆の白虹だと云い、安陪晴賢は縁起の吉な白気だと云います。安陪泰貞・安陪晴茂は彗星だと云い、安陪宣賢は内乱の兆候だと云います。お互いに言い合っていても、はっきりしないので、京都へ聞いてみるのも、しばらく止めておきました。次に後藤大夫判官基綱が担当して、祈祷を行うように決定しました。弾正忠中原季氏が筆を取って陰陽師の名前を書き出しましたとさ。

貞永元年(1232)閏九月小九日丙辰。リ。天變如日來。色白光長。

読下し                     はれ  てんぺん ひごろ  ごと    いろしろ ひかりなが
貞永元年(1232)閏九月小九日丙辰。リ。天變日來の如し。色白く光長し。

現代語貞永元年(1232)閏九月小九日丙辰。晴れです。天の異変は最近の通りです。色は白くて光の尾は長い。

貞永元年(1232)閏九月小十日丁巳。霽。被始行變氣御祈云々。
  修法
 八字文殊〔信乃法印〕      雜掌〔和泉守〕
 一字金輪〔松殿法印〕      雜掌〔出羽前司〕
 尊王星〔宰相法印〕       雜掌〔佐原五郎左衛門尉〕
 北斗〔松殿法印〕        雜掌〔城太郎〕
 藥師〔丹後僧都〕        雜掌〔駿河入道〕
 愛染王〔加賀律師〕       雜掌〔土屋左衛門入道〕
 御當年
  一壇〔助法印〕        雜掌〔陸奥五郎〕
  一壇〔越後法橋〕       雜掌〔隱岐入道〕
 鶴岳宮
  仁王會 御神樂〔政所沙汰云々〕
 御祭
  三万六千神〔リ賢〕      雜掌〔武州〕
  天地災變〔親職〕       雜掌〔相州〕
  属星  〔リ幸〕       雜掌〔宇都宮修理亮〕
  天曹地府〔宣賢〕       雜掌〔大和左衛門尉〕
  泰山府君〔經昌〕       雜掌〔足立三郎〕
  七瀬御祭〔リ茂 重宗 リ秀 C貞 泰宗 道氏 文親〕

読下し                     はれ   へんけ  おいのり  しぎょうさる    うんぬん
貞永元年(1232)閏九月小十日丁巳。霽。變氣の御祈を始行被ると云々。

     ずほう
  修法

  はちじもんじゅ  〔しなののほういん〕             ざっしょう 〔いずみのかみ〕
 八字文殊〔信乃法印〕      雜掌〔和泉守〕(天野六郎政景)

  いちじこんろん  〔まつどのほういん〕             ざっしょう 〔でわのぜんじ〕
 一字金輪〔松殿法印〕      雜掌〔出羽前司〕(中條家長)

  そんのうせい   〔さいしょうほういん〕             ざっしょう 〔さはらのごろうさえもんのじょう〕
 尊王星 〔宰相法印〕      雜掌〔佐原五郎左衛門尉〕(盛時)

  ほくと       〔まつどのほういん〕             ざっしょう 〔じょうのたろう〕
 北斗  〔松殿法印〕      雜掌〔城太郎〕(安達義景)

  やくし       〔たんごのそうづ〕              ざっしょう 〔するがにゅうどう〕
 藥師  〔丹後僧都〕      雜掌〔駿河入道〕(中原季時)

  あいぜんおう   〔かがのりっし〕               ざっしょう 〔つちやのさえもんにゅうどう〕
 愛染王 〔加賀律師〕      雜掌〔土屋左衛門入道〕(宗光)

  ごとうねん

 御當年

    いちだん   〔すけのほういん〕               ざっしょう 〔むつのごろう〕
  一壇 〔助法印〕       雜掌〔陸奥五郎〕(北条實泰)

    いちだん   〔えちごほっきょう〕              ざっしょう 〔おきのにゅうどう〕
  一壇 〔越後法橋〕      雜掌〔隱岐入道〕二階堂行村

  つるがおかぐう
 鶴岳宮

     におうえ    おかぐら  〔まんどころ  さた  うんぬん〕
  仁王會 御神樂〔政所の沙汰と云々〕

  おんまつり
 御祭

     さんまんろくせんしん〔はるかた〕             ざっしょう  〔ぶしゅう〕
  三万六千神〔リ賢〕      雜掌〔武州〕(北条泰時)

     てんちさいへん   〔ちかもと〕              ざっしょう  〔そうしゅう〕
  天地災變 〔親職〕      雜掌〔相州〕(北条時房)

     ぞくしょう       〔はるゆき〕             ざっしょう  〔うつのみやしゅりのりょう〕
  属星   〔リ幸〕      雜掌〔宇都宮修理亮〕(泰綱)

     てんそうちふ    〔のぶかた〕             ざっしょう  〔やまとさえもんのじょう〕
  天曹地府 〔宣賢〕@      雜掌〔大和左衛門尉〕(久良)

     たいさんふくん   〔つねまさ〕             ざっしょう  〔あだちのさぶろう〕
  泰山府君 〔經昌〕      雜掌〔足立三郎〕

     なんあせおんまつり〔はるしげ  しげむね  はるひで  きよさだ  やすむね  みちうじ  ふみちか〕
  七瀬御祭A 〔リ茂 重宗 リ秀 C貞 泰宗 道氏 文親〕

参考@天曹地府祭は、陰陽道で、冥官(みょうかん)を祭って戦死者の冥福などを祈る儀式。六道冥官祭。

現代語貞永元年(1232)閏九月小十日丁巳。晴れました。天の異変へのお祈りを始めましたとさ。
   護摩炊き祈祷
 八字文殊〔信濃法印道禅〕  出資者〔和泉守天野政景〕
 一字金輪〔松殿法印良基〕  出資者〔出羽前司中条家長〕
 尊王星 〔宰相法印〕    出資者〔佐原五郎左衛門尉盛時〕
 北斗  〔松殿法印良基〕  出資者〔城太郎安達義景〕
 藥師  〔丹後僧都頼暁〕  出資者〔駿河入道中原季時〕
 愛染王 〔加賀律師定清〕  出資者〔土屋左衛門入道宗光〕

 今年の縁起を祓う護摩炊き
  一人  〔助法印珍与〕   出資者〔陸奥五郎北条実泰〕
  一人  〔越後法橋〕    出資者〔隱岐入道行西二階堂行村〕

 鶴岡八幡宮
  仁王経とお神楽奉納〔政務事務所負担だそうな〕

 お祓いのお祭り
  三万六千神〔安陪晴賢〕   出資者〔武州北条泰時〕
  天地災変 〔安陪親職〕   出資者〔相州北条時房〕
  属星   〔安陪晴幸〕   出資者〔宇都宮修理亮泰綱〕
  天曹地府 〔安陪宣賢〕   出資者〔大和左衛門尉久良〕
  泰山府君 〔安陪経昌〕   出資者〔足立三郎元氏〕
  七か所の水の流れでするお祓いの七瀬払い〔安陪晴茂・安陪重宗・安陪晴秀・安陪清貞・安陪泰宗・安陪道氏・安陪文親〕

説明A七瀬御祭は、26巻貞応3年6月6日条では、由比ガ浜・七里ヶ浜・片瀬川・六浦・鼬川・森戸海岸・江の島龍穴。
 又、27巻寛喜
2年(1230)11月13日条では霊所、由比ガ浜、七里ヶ浜、片瀬川、六浦、鼬川、森戸海岸、田越川が書かれている。

貞永元年(1232)閏九月小十一日戊午。雨降。御供料等可致急速沙汰之由。武州別被觸廻之云々。属星祭。リ幸奉仕之。周防前司爲奉行。將軍家出御其庭。

読下し                         あめふ     ごくうりょうら きゅうそく  さた   いた  べ   のよし  ぶしゅうべっ    これ  ふ   めぐ  さる    うんぬん
貞永元年(1232)閏九月小十一日戊午。雨降る。御供料@等急速の沙汰を致す可し之由、武州別して之を觸れ廻ら被ると云々。

ぞくせいさい はるゆきこれ  ほうし    すおうのぜんじ ぶぎょうたり  しょうぐんけ そ  にわ  い   たま
属星祭、リ幸之を奉仕す。周防前司奉行爲。將軍家 其の庭へ出で御う。

参考@御供料は、神仏へ供える品物としての年貢。

現代語貞永元年(1232)閏九月小十一日戊午。雨降りです。お供え用の年貢を急いで処理するようにと、武州北条泰時さんは特別に知らせ廻らせましたとさ。属星祭を安陪晴幸が勤めました。周防前司中原親実が担当です。将軍頼経様は、その庭へお出ましです。

貞永元年(1232)閏九月小十五日壬戌。リ。彗星微薄。芒氣不見。遂以無軸星。有行度數日出現無先例。爲希代變災之由。天文道等申之。

読下し                       はれ  すいせいびはく  ぼうき みえず  つい  もっ  じくせいな     ぎょうどあ    すうじつ しゅつげん せんれいな
貞永元年(1232)閏九月小十五日壬戌。リ。彗星微薄。芒氣見不。遂に以て軸星無し。行度有りて數日の出現、先例無し。

きだい  へんさいたるのよし  てんもんどうら これ  もう
希代の變災爲之由、天文道等之を申す。

現代語貞永元年(1232)閏九月小十五日壬戌。晴れです。彗星が小さくなって、光の尾も見えなくなりました。とうとう中心星も見えません。行度?があって数日も出現の例はありません。世にもまれな変な災いだと、天文方は云ってます。

貞永元年(1232)閏九月小十七日甲子。鏡社住人渡高麗。企夜討。盜取數多珎寳。歸朝之間。守護人爲尋問子細。欲召取彼犯人等之處。預所稱不可交守護沙汰之由。張行之旨。就注申。今日有沙汰。預所非可抑留。任交名。早可召渡守護所。乘船并贓物事。同可令沙汰之由。被仰隱岐左衛門入道云々。

読下し                       かがみしゃ じゅうにん こうらい わた    ようち  くはだ    すうた  ちんぽう  ぬす  と     きちょうのあいだ
貞永元年(1232)閏九月小十七日甲子。 鏡社@住人 高麗へ渡り、夜討を企て、數多の珎寳を盜み取り、歸朝之間、

しゅごにん  しさい  たず  と     ため  か  はんにんら   め   と       ほっ    のところ あずかりどころ しゅご   さた   まじ  べからずのよし  しょう
守護人A子細を尋ね問はん爲、彼の犯人等を召し取らんと欲する之處、預所、 守護の沙汰を交う不可之由と稱し、

ちょうぎょうのむね  ちう  もう    つ      きょう  さた あ    あずかりどころ よくりゅうすべ あらず きょうみょう まか    はや  しゅごしょ   め   わた  べ
張行之旨、注し申すに就き、今日沙汰有りて、預所の抑留可きに非。交名に任せ。早く守護所へ召し渡す可し。

じょうせん なら   ぞうもつ  こと  おな     さた せし  べ   のよし  おきのさえもんにゅうどう   おお  らる    うんぬん
乘船 并びに贓物の事、同じく沙汰令む可き之由、隱岐左衛門入道に仰せ被ると云々。

参考@鏡社は、佐賀県唐津市南城内3-13唐津神社で神功皇后が新羅遠征の海路の安全を祈願し、凱旋時に捧げたと伝えられる宝鏡を発見し祀ったのが始まりと伝えられる古社。元は草野氏が地頭。領主は比叡山。
参考A守護人は、少貳資能。

現代語貞永元年(1232)閏九月小十七日甲子。佐賀県唐津市の鏡社(唐津神社)の氏子等が高麗(朝鮮)へ渡り、夜討をかけて沢山の財宝を盗んで帰国したとの話なので、守護人少貳資能が事情を聞くために、その犯人を捕獲しようとしましたが、荘園現地管理者の預所は、守護の干渉は受けないと言って、書面で訴えて来たので、今日、検討をして「現地管理人が預かるべきではない。名簿通りに守護人に引き渡すように。乗っていた船や搾取した品物についても、同様に処理しなさいと、隱岐左衛門入道行西二階堂行村に命じましたとさ。

貞永元年(1232)閏九月小十八日乙丑。法勝寺九重塔修理事。將軍家有御助成。瓦葺燒料被充西海御家人云々。

読下し                       ほっしょうじ くじうのとう しゅうり  こと  しょうぐんけごじょせいあ
貞永元年(1232)閏九月小十八日乙丑。法勝寺@九重塔修理の事、將軍家御助成有り。

かわら ふきやきりょう  さいかい  ごけにん  あ   らる    うんぬん
瓦 葺燒料を西海の御家人に充て被ると云々。

参考@法勝寺は、六勝寺のひとつ。白河天皇御願。承暦元(1077)年落慶供養。

現代語貞永元年(1232)閏九月小十八日乙丑。法勝寺の九重の塔の修理について、将軍頼経様は援助をしました。瓦を焼く燃料費として、九州の御家人に割り当てましたとさ。

貞永元年(1232)閏九月小廿日丁夘。リ。依災變御祈。於鶴岳有臨時神樂。將軍家御參宮。相州。武州。石山侍從〔教定〕陸奥式部大夫。民部少輔。周防前司。左近大夫將監〔佐房〕駿河前司。上野介。和泉守。駿河判官。土屋左衛門尉。嶋津三郎左衛門尉以下供奉。

読下し                     はれ   さいへん  おいのり  よっ   つるがおか をい  りんじ  かぐら あ    しょうぐんごさんぐう
貞永元年(1232)閏九月小廿日丁夘。リ。災變の御祈に依て、鶴岳に於て臨時の神樂有り。將軍家御參宮。

そうしゅう  ぶしゅう  いしやまじじゅう 〔のりさだ〕   むつのしきぶたいふ  みんぶしょうゆう  すおうのぜんじ  さこんたいしょうげん 〔すけふさ〕   するがのぜんじ  こうづけのすけ
相州、武州、石山侍從〔教定〕、陸奥式部大夫、民部少輔、周防前司、左近大夫將監〔佐房〕、駿河前司、上野介、

いずみのかみ するがのほうがん つちやのさえもんのじょう  しまづさぶろうさえもんのじょう いげ ぐぶ
 和泉守、 駿河判官、土屋左衛門尉、 嶋津三郎左衛門尉以下供奉す。

現代語貞永元年(1232)閏九月小二十日丁卯。晴れです。先日の彗星の天変災害を防ぐため、鶴岡八幡宮で臨時のお神楽を奉納しました。将軍頼経様もお参りです。相州北条時房さん・武州北条泰時さん・石山侍従藤原教定・陸奥式部大夫北条政村・民部少輔北条有時・周防前司中原親実・左近大夫将監大江佐房・駿河前司三浦義村・上野介結城朝光・和泉守天野政景・駿河判官三浦光村・土屋左衛門尉宗光・島津左衛門尉忠直以下がお供をしました。

貞永元年(1232)閏九月小廿一日戊辰。リ。去四日變爲彗星之由。京都密奏之輩進勘文。今日到來。泰貞最前申状符合之間。載其子細。被下御書於泰貞。周防前司親實奉行。

読下し                       はれ  さんぬ よっか  へん すいせいたるの よし  きょうとみっそうのやから すす    かんもん  きょう とうらい
貞永元年(1232)閏九月小廿一日戊辰。リ。去る四日の變は彗星 爲之由、京都密奏之輩の進める勘文、今日到來す。

やすさだ さいぜん もうしじょう ふごう   のあいだ  そ   しさい   の     おんしょを やすさだ  くださる    すおうのぜんじちかざね ぶぎょう
泰貞 最前の申状 符合する之間、其の子細を載せ、御書於泰貞に下被る。 周防前司親實 奉行す。

現代語貞永元年(1232)閏九月小二十一日戊辰。晴れです。先日の四日からの天の異変は彗星であると、京都の朝廷お抱えの陰陽師の連中が進上した上申書が、今日届きました。安陪泰貞の最初の発言と一致したので、その旨を書いた公文書を泰貞に与えられました。周防前司中原親実が担当しました。

貞永元年(1232)閏九月小廿六日癸酉。リ。今日御臺所御祈等被行之。又於鶴岡宮寺。屈百口僧。被行仁王會云々。是彗星御祈也。
 彼咒願文云。
 牟尼釋範 仁王妙文 一部金乘 兩軸寳偈
 通二諦道 開五忍巻 佛界庠藏 法門樞鍵
 極聖目足 大士肝心 實智擧燈 慧輝瑩鏡
 一四天下 三千界中 褊日月明 破國土暗
 排般若藏 解露一封 フ摩尼輪 降雨万寳
 天上妙藥 甘露染唇 海中寳珠 法水潤色
 吉海舟檝 飛化度帆 護國劔刄 磨勝利刀
 滿足悉地 早於龍蹄 被瞻諸天 扣得(原文氵)麟角
 彼佛本誓 方便無量 斯經大慈 効驗利□
 感應之至 得而難称 靈威之通 仰而取信
 從初三曉 迄第九晨 白氣聳東 蒼穹驚下
 司天所告 懇地不閑 称星称蛇 數丈數尺
 變異縁底 畏途履水 恐懼多端 休門相泥
 何况閏月 加于暮秋 偸愼紫霄 漸送素律
 又是年厄 太一定分 因茲日來 無貳方寸
 仰佛天應 丹祈翹誠 哭幽明靈 請微運志
 新本吉日 就八幡宮 敬屈臥雲 展百講席
 非假佛力 誰競天災 非浴神恩 爭禳時妖
 白法不妄 金言無私 縱雖彗星 盍銷法雨
 玉燭照洞 表壽星祥 香烟薫空 彰慶雲瑞
 宮闕月朗 狎葉懸鳬 羽林風和 戯華表鶴
 正室翠帳 伴岩松榮 將軍華亭 讓石椿算
 家門千輩 華夷兆民 樂有道邦 誇無爲世
   貞永元年閏九月廿六日

読下し                        はれ   きょう みだいどころ  ごきとうら これ  おこなはれ
貞永元年(1232)閏九月小廿六日癸酉。リ。今日 御臺所の御祈等之を行被る。

また  つるがおかぐうじ  をい    ひゃっく  そう  くっ     にんのうえ  おこなはれ  うんぬん  これ  すいせい おいのりなり
又、鶴岡宮寺に於て、百口の僧を屈し、仁王會を行被ると云々。是、彗星の御祈也。

  か   じゅがんもん  い
 彼の咒願文に云はく。(願文につき読下しを略す)

 牟尼釋範 仁王妙文 一部金乘 兩軸寳偈

 通二諦道 開五忍巻 佛界庠藏 法門樞鍵

 極聖目足 大士肝心 實智擧燈 慧輝瑩鏡

 一四天下 三千界中 褊日月明 破國土暗

 排般若藏 解露一封 フ摩尼輪 降雨万寳

 天上妙藥 甘露染唇 海中寳珠 法水潤色

 吉海舟檝 飛化度帆 護國劔刄 磨勝利刀

 滿足悉地 早於龍蹄 被瞻諸天 扣得麟角

 彼佛本誓 方便無量 斯經大慈 効驗利□

 感應之至 得而難称 靈威之通 仰而取信

 從初三曉 迄第九晨 白氣聳東 蒼穹驚下

 司天所告 懇地不閑 称星称蛇 數丈數尺

 變異縁底 畏途履水 恐懼多端 休門相泥

 何况閏月 加于暮秋 偸愼紫霄 漸送素律

 又是年厄 太一定分 因茲日來 無貳方寸

 仰佛天應 丹祈翹誠 哭幽明靈 請微運志

 新本吉日 就八幡宮 敬屈臥雲 展百講席

 非假佛力 誰競天災 非浴神恩 爭禳時妖

 白法不妄 金言無私 縱雖彗星 盍銷法雨

 玉燭照洞 表壽星祥 香烟薫空 彰慶雲瑞

 宮闕月朗 狎葉懸鳬 羽林風和 戯華表鶴

 正室翠帳 伴岩松榮 將軍華亭 讓石椿算

 家門千輩 華夷兆民 樂有道邦 誇無爲世

   貞永元年閏九月廿六日

現代語貞永元年(1232)閏九月小二十六日癸酉。晴れです。今日、竹御所のお祈りを行いました。又、鶴岡八幡宮では百人の坊さんによる仁王経の奉納を行いましたとさ。これは彗星の祟りを祓うお祈りです。その呪文は次の通りです。(願文略)

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