建久元年(文治六年)庚戌(1190)
文治六年(1190)正月小 大河次郎兼任の乱勃発す・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・読下し・現代語完了
文治六年(1190)二月大 大河次郎兼任逐電す・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・読下し・現代語完了
文治六年(1190)三月小 大河次郎兼任樵夫に滅ばされる・井沢家景を陸奥留守職に任命・・読下し・現代語完了
文治六年建久元年(1190)四月大 伊勢神宮への役夫工米を滞納したので、文書で整理する・読下し・現代語完了
建久元年(1190)五月大 頼朝の姉の葬儀に大和前司重弘を代参させる・・・・・・・・・・読下し・現代語完了
建久元年(1190)六月小 伊勢神宮への役夫工米を督促する・・・・・・・・・・・・・・・読下し・現代語完了
建久元年(1190)七月大 佐々木盛綱の子息信實、工藤祐經の無礼に腹を立て礫で額を切る・読下し・現代語完了
建久元年(1190)八月小 放生会の行事を二日に分ける。流鏑馬は以後8月16日になる・・読下し・現代語完了
建久元年(1190)九月大 河村三郎義秀、河村郷を大庭景能の機転により返還される・・・・読下し・現代語完了
建久元年(1190)十月小 上洛の道中・先陣は畠山重忠・殿は千葉介常胤・鮭の楚割・・・・読下し・現代語完了
建久元年(1190)十一月大 入洛、後白河法王に謁見。・・・・・・・・・・・・・・・・・読下し・現代語完了
建久元年(1190)十二月小 右大将任命拝賀、辞退、鎌倉へ帰還・・・・・・・・・・・・・読下し・現代語完了